伊藤亜紗氏(2021)は、『「利他」とは何か』の中で、山岸俊男氏(1999)の言葉
信頼は、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の(自分に対する感情までも含めた意味での)人間性ゆえに、相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えることです。これに対して安心は、そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと感じることを意味します。
を引用しています。
その引用を元に、
「安心は、相手が想定外の行動をとる可能性を意識していない状態です。要するに、相手の行動が自分のコントロール下に置かれていると感じている。
それに対して、信頼とは、相手が想定外の行動をとるかもしれないこと、それによって自分が不利益を被るかもしれないことを前提としています。つまり「社会的不確実性」が存在する。にもかかわらず、それでもなお、相手はひどい行動をとらないだろうと信じること。これが信頼です。
つまり信頼するとき、人は相手の自律性を尊重し、支配するのではなくゆだねているのです。これがないと、ついつい自分の価値観を押しつけてしまい、結果的に相手のためにならない、というすれ違いが起こる。相手の力を信じることは、利他にとって絶対的に必要なことです。」
と説明しています。
相手の行動を自分のコントロール下において、自分が安心するために行っている行動は、学校現場でもよくある場面だと考えられます。
例えば、宿題や給食。
全員提出、完全完食が目的化してしまい、手段と目的が逆転しているために何を大切にしたいのか不明確になっている状態です。
そこでよく発せられる「だれのために言っているのかわかっているか」「あなたが大人になって困らないため」というようなセリフ。
圧力で押さえ、相手の自立を奪っていることも知らずに、自分は善意だと思ってやっている本当にやっかいな状態です。
1人ひとり子どもに対する適切な働きかけをした上で、子どもの自律性を尊重し、ゆだねて待つことを大切にしていきたいです。
〈参考文献〉