教師にとっての実践記録とは、教師が教師として、子どもたちの発達に関わっていけるような自己形成=主体形成をとげていくために書き続けられるものといえる。したがって教師として、子どもに賭ける情熱のないところからは、すぐれた実践も、実践記録も生まれないということになる。
(中略)
このような飽くことのない実践の道程こそが、優れた実践記録を生み出す源であり、 教師の自己形成の歩みとなるのではないだろうか。 実践記録を書くことは、 実践と理論を統一させる推進力であると同時に、 教育的認識力を高め、 実践の停滞を防ぐ一つの保障と考える。 ここで大切なことは、 教師のもつ時代認識とその実践との緊張関係をどう内面化して記録するかということである。
佐々木勝男(1982)「なぜ、実践記録を書くのか」『歴史地理教育』1982年12月号
記録しないと停滞する。
これ、ほんとそう思います。
ただ、「教師のもつ時代認識とその実践との緊張関係の内面化」がよくわからない。