社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

1086 連続した追究

「対象と自分との関係を持続させていくこと」が重要だと山田は述べます。具体例として、小学校の5年生の工業の学習を紹介しています。ある工場について徹底的に学習させた後、その工場の分析を通して日本の工業をとらえようとした学習です。その後の商業の学習の時に、子どもが具体的な事例を用意して学習をはじめたということです。また、5年生で農業を学習する際、自分達の地域に展開する農業の状況を考察した後、日本の歴史を学習する際に、この地域にその歴史を示す何かがないだろうかということで、郷土史の研究を踏まえるような形の学習を展開したということです。対象と自分との関わりが連続している姿として山田は捉えていました。
 このように、「対象と自分との関係を持続させていく」とは、対象と自分との関わりがより明確に現れる「具体」を通して「全体」を捉え、その関係性をまた次の学習にもちこむことを言います。
 自分が獲得した見方や考え方を適用している子どもの姿です。子どもはそうやって事象を身近なものに引きつけようとしますし、対象を自分と関係のあるものとして見ようとしていきます。それが、「社会的事象が身近になる」「社会的事象を身近にする」ということの一つではないかと考えます。

1085 Uターンのある授業

 「生活的基礎観念」とは、個人の生活、文化や風土などが相互的に作用されてできあがる個性的な生き方のことを指します。同じ学級の中で学習していれば、この「生活的基礎観念」はそれぞれの子どもで関わり合う部分が出てきます。それが同じ事象を見るための基盤となります。それと共に、同じ事象でも、人によって見方も変わってきます。これも子どもたちのもつ「生活的基礎観念」がそれぞれ違うからです。子どもたちのもつ「生活的基礎観念」の共通性と差異性があってはじめて集団で追究する集団思考の形が意味をなします。集団での追究過程を通して、それぞれの見方や考え方をぶつけ合い、それらを通して子どもが「生活的基礎観念」の再統一を図っていきます。つまり、自分のもっている見方や考え方、認識の捉え直しが起こります。これが、山田のいう「Uターンのある授業」という」もので、次の図に表されている通りです。
 図の中央にあたるのが「抵抗としての教材」です。この「抵抗としての教材」とは、子どもに自己否定的に反省を迫る機能としての位置づけのことをいいます。子どもの学習目標と教師の指導目標を対立葛藤させ、それぞれに再検討を促し、さらに追究を深化させていくために必要なものだと捉えられます。
 これらの山田理論は、バランスの欠けた「個別最適な学び」について捉え直す一つの考えになるのではないかと感じています。

1084 「源流」から流れ続けるもの

この本、ほんと好きです。



先人に敬意をもちながらその想いや技術、文化を受け継ぎ、実践し、創造し、また追究していく。
それが確かな跡となり、後生にもまた引き継がれていく。
脈々と続いてそれは途切れることのないもの。
ほんと、「道は果てしない」。
以下は、本書の最後に記されている長岡氏の言葉。
かっこいいな。

「私は、木下の教育を受け継ぎ奈良附小において三十七年実践を続けた。奈良プランを樹立し、ささやかながら、その展開を図った。
 私は、木下時代の実践での「もの足りなさ」を「学習者一人ひとりについて、その学習の深まりをきめ細かく、息長く追究したものが少ない」「児童理解についての目が今一歩足りない」ととらえ、自分の実践では、特にこの点の開発に力を注ぎ、「児童の経験の力動的発展」に意を尽くした。
 「学習法を身につけた、しんのある、腰の強い子ども」が、いくらか育つようになったように思うが、これもひとえに木下の励ましによるものである。自らの「学習法の実践」については、さらに別途研究を深めたいと思う。道は果てしない。」

 


(『学習法の源流』p284より)


1083 「2022年間ベストセラー」感謝!

 



明治図書さんの2022年間ベストセラーの総合ランキングの第5位に拙著が入っていました。
(統計的に人気のない)社会科という教科の書でランクインさせていただけたことに正直驚いています。
「発問」というジャンルで汎用性を高くして読んでくださった方が多いのではないかと推測します。
いずれにせよ、多くの方々が手に取ってくださっているという事実にただただ感謝です!
 本当にありがとうございます(😊)

1082 縁

「教育という行為を、原因―結果の論理でとらえるとともに、縁を加えることによって、心理学や社会学などが提供する子ども研究の成果を、教育にほんとうに活かすことができる。縁を加えて教育をとらえると、この縁を活かそうとする主体的な構えが生まれる。この子の親となり先生となったことの不思議さに打たれることが、子どもへの温かいまなざしになる。温かいまなざしに受けとめられることによって、子どもは、自分の心の中を示し、やる気を出し、自分の力でおとなになろうとする意欲をもつ。」
〈蜂屋慶 編(1985)『教育と超越』〉
無数の「縁」があって、その「縁」が原因と結果をつないでいる。
「縁」があるからこそ多くのものがつながり、そこに「あったかいもの」を生み出していると思う。
 これ、大切にしたい。

1081 「個性を生かす」とは

そもそも「個性」とは何なのでしょうか。

「個性を生かす」とはどういうことなのでしょうか。

篠原助市(1935)は『増訂 教育辞典』(宝文館)の「個性と教育」の項で、教育の立場から見ての個性の捉え方について次のように述べています。

 

「教育上の見地よりして個性は大凡之を二種に大別するを得べし。その一は自然としての個性にして、他は理想としての個性なり。前者は、人の生まれながら有する自然の性情にしてヘルバルトが客観的品性と称せしものに当たり、後者は、目的を意識し、自覚的に働く個性にしてヘルバルトの主観的品性と称せるものに相当する。」

 

個性を「自然としての個性」と「理想としての個性」の二つに分けています。

また、次のようにも述べています。

 

「自然としての個性を単に「個性」と言ひ、理想としての個性を「人格」と称するときは教育は個性を人格たらしむる作用なりと言ひ得べし。」

 

教育は、「自然としての個性」を「理想としての個性」にする作用であるとしています。

つまり、「個性を生かす」という言葉は、子どもを好きなようにさせるということではなく、人格の形成にまで高めるところに本質的なねらいがあると考えられます。

また、

 

「人は社会においてのみ人となり、個性の健全なる発達は社会において始めて可能なればなり。」

 

とも述べています。

人は関わり合うことを通してよりよい人格を形成していくということです。

忘れてはいけない指摘です。

1080 全身全霊

「問題解決学習の原型は、未分科時代の低学年においてもっともとらえやすいのではなかろうか。」(『考える子どもNo54』1967年 より)
ほんと、そう思う。
低学年の子はいっぱいの問いを生み出し、全身全霊で体当たりをしている。

1079 一人の子のストーリーを追う

 2年間一人の子を中心に記録し、その子の具体的な姿や学びを追ってきました。そうすることで多くのことが見えてきました。

その子の癖。

その子の思考方法。

その子のものの見方。

その子の他者とのつながり方。

その子のこだわり。

大げさかも知れませんが、その子の生き方そのものが見えてくるという感じです。

 長岡文雄(1983)は、次のように述べます。

「授業は、〈この子〉のために行うものである。〈この子〉にとって必要なことを企画するのである。ただし、『必要なこと』というと、教師は、とかく、『子どもを偉くするために必要』と意気ごんで、〈この子〉に、無理なことを要求しがちである。それは、『〈この子〉にとって必要なこと』というものをとらえる力が弱いからである。その『必要なこと』というのは、『〈この子〉が、今生きている体制』によって決まるのである。『〈この子〉が何に行きづまっているか、自己を、どう破ろうとしているか』ということから、『〈この子〉の必要としている授業』『〈この子〉に教師が手伝う必要のある授業』が決まってくる。『よりよく生きる』こと、『自己変革』することを求めて、子どもも教師も、問題解決に当たるのが授業である。そこに学習法の深化はある。」

長岡の言う〈この子〉の学びのストーリーを追い、多面的に〈この子〉のエピソードを語ることが、個別最適な学びの本質を捉えることにつながると感じています。

1078 一人ひとりを大切にする

  『静かな子どもも大切にする: 内向的な人の最高の力を引き出す』という書籍があります。

人と会ったり話したりすることは楽しいけれど、その後は自分の時間が必要。

人とかかわる仕事をしているけど、時にはひっそり一人で過ごしたい。

一日の終わりには、仲間と集まって何かをするよりも家でゆっくりしたい。

このような「静かな人」とされる子どもも力を発揮できる環境のつくり方や、コミュニケーションの構築の仕方が紹介されています。

本書の中で紹介されている「外交的な人は閃光を放ち、内向的な人は寂光を放つ。

外交的な人は花火で、内向的な人は暖炉の灯」というソフィア・デンブリングの言葉が印象的です。

ICT端末の普及は、このような静かな子達を輝かせ、豊かにするためにもあると強く思っています。

その子の学びやすさにつながるツールだと感じています。「私は発表する子は苦手だけど、書くことは好きなので、書いて簡単に提出できることが嬉しいです」と言っていた子もいました。

「何を大切にしたいのか」という考えで授業や学習のあり方も変わってきます。「一人ひとりの子を大切にしたい」という想いを具体化するツールがICT端末なのではないでしょうか。

 

1077 割合を考える

1年間のすべての学習時間を子どもに委ねる学習にするということではありません。

奈須正裕(2022)は、次のように述べています。

「まずは思い切って総授業時数の1割から2割程度を質の高い、しっかりとした個別最適な学びにしてはどうかと思う。2割というと少なく聞こえるかもしれないけれど、平均すると毎日1時間は子どもたちが自力で学びを展開することになる。それが学校生活に劇的な変化をもたらすのは、ほぼ間違いない。子どもたちの姿が一変するのはもちろん、先生たちの子ども観や授業観も揺さぶられるだろう。」

どの教科、どの単元、どの時間でするのが適しているのかを見極めるところに教師の腕がかかっていると感じています。

社会科でも、委ねることが適している単元とそうでない単元があります。

例えば、5年生の産業学習は比較的子どもに委ねやすいと感じています。

農業単元で自然条件や経済面、環境面などの視点で産業を見ていくことや、生産者の工夫や悩み、農業の問題点等を把握します。

これらの視点は、他の産業でも共通していることが多いです。

また、持続可能な生産を意識した共存共栄の考え方は、どの産業にも共通している考え方です。

このように、農業単元で学んだ視点や考え方をもちながら、水産業や工業、林業などを追究するようにします。事例は変わっても、同じように学び進めることができます。

1年間のうちのはじめの方は、見方・考え方の働かせ方や概念的知識の獲得等、社会科として大切にしたいことを一斉授業で明示的に示していくことが多くなります。

そう考えると、1学期よりも3学期の方が、子どもに委ねる学習が多くなるのかもしれません。

また、45分授業の中の30分は一斉授業で、残りの15分は個別学習、最初と最後を合わせた15分を個別学習で行うなど、1時間の授業の割合を考えることも重要です。

ほんの少しずつでも、時間や場所、内容等、子どもに委ねることを増やしていく発想をもちたいものです。