「思考・判断・表現」を見取ろうと思えば、理解した「もの」をもとにして、子どもがさらに発展的に考えたり価値判断したりする必要があります。
このようなものは点数化できにくいので、レポートや論述等、パフォーマンス評価にしたりすることが現実的かもしれません。
「思考・判断・表現」を見取ろうと思えば、理解した「もの」をもとにして、子どもがさらに発展的に考えたり価値判断したりする必要があります。
このようなものは点数化できにくいので、レポートや論述等、パフォーマンス評価にしたりすることが現実的かもしれません。
創刊号は、おもしろい。
すでに「個別」と「協働」の自己決定的な学びが行われている?
『現代の学習形態』によると、学習形態という語は元々「主体」「内容」「人間関係」といった構成要因として捉えられていました。
つまり、単なる外的な組織概念だけではなく、内的な方法概念でもありました。
組織概念のみが目立つようになった理由は、学習過程の改善が進む中で、組織概念と方法概念が結びつくようになったことが考えられます。
学習形態について分類する際、組織概念が前面に出るようになり、外的な組織概念的側面が一般的な学習形態と捉えられるようになりました。
1980年代、教育方法が進むにつれ組織的形態も多様化していき、より外的な側面が前面に出るようになりました。
個別最適な学びを考える上で、学習形態について語られることが多くなりました。
その際、危惧することは、外的な組織概念による学習形態である3つの区分(「個別」「小集団」「一斉」)だけで検討されることです。方法概念としての「主体」や「内容」との結びつきを踏まえて検討、議論する必要性を感じています。
無論、それらを踏まえた授業づくりとしての「学習形態」を考えることは必須でしょう。
「基礎」は本質。
物事をより見つめてより深く見ていく「眼」をもつこと。
「基本」は全体像。
俯瞰的に客観的に見ていく「眼」をもつこと。
この2つの「眼」を十分に養いながら、ものごとを考えていきたいものです。
ここでは、「話し合い」を、根拠や理由を述べながら問題を解決したり、よりよい意見を見出したりすることと定義する。
お互いの根拠や理由を挙げながら、意見が正しいのかそうでないのか、新たな考えが創出できないかを共同的に考えることを意味する。
決して、感情的になったり、対立的になったりするような話し合いではないことを最初に述べておく。
さて、そのような「話し合い」は学習においてなぜ効果的なのか。
以下に4つ述べていく。
1つ目は、学習対象に対する動機づけが高まるからである。
「話し合い」をしようとすれば、自分で発言する内容を自分で決めることになる。
「自分で決める」ということで主体的な態度になることが考えられる。
また、話し合う中での人の意見との「ズレ」から、それを確かめようと探究的な態度を生むことができる。
2つ目は、理由や根拠を探す中で推論が促され、学習内容に対する理解が深まるからである。
自分だけでは考えが及ばなかった意見も出されることで、多面的に物事を見ることができるようになる。
3つめ目は、汎用的に使える「話し合う力」が獲得できるからである。
「話し合い」が意見や根拠や理由から構成されていることを知り、意見の正しさを証明するには根拠や理由を組み合わせることが必要だと理解できるようになる。
「話し合う力」は話し合うすることでしかつかない。当たり前のことではあるが、真である。
4つ目は、学級として新しいアイデアやアイデアをよくしたりすることで、学級に貢献できるからである。建設的な「話し合い」をすることで、学級の向上的な雰囲気が醸成されていく。集団の学ぶ雰囲気が高まれば、個人の学ぶ意欲も高まる。その逆も同じである。
『主体的・対話的で深い学びに導く学習科学ガイドブック』大島純 千代西尾祐司 編(2019)北大路書房p111を参考に
60年代、70年代は、詳細な授業記録が掲載された書がバンバン出版されていました。
それが80年代になると陰を潜めてきました。
ネタによる授業や法則化運動等、すぐに使える授業に流れ始めたからです。
(もちろん、これはこれで必要です)
今はそれに加え、個人情報の問題等もあり、詳細な記録を世に出すことは難しいかもしれません。
しかし、今だからこそ焦点をあてるべきだと思うし、それらを元に追究していきたいと考えます。
①静かさ②自分なりの納得③志
①静かな時間を与え、あまりせかせかしたりしないで各人に自分で静かな時間をつくらせるようにすること②自分のやったことを自分なりに評価させ、評価したことを認めて励ましてやること③各人の志を認めて、それを生かして心を豊かにするのを助けてやること