教育実践史
『ある教師の生活探究 野村芳兵衛の生活と教育』は、戦後の教育実践史において異彩を放つ教師・野村芳兵衛の教育観と生き方を深く掘り下げた一冊。授業記録や教育技術の紹介ではなく、「生きること」と「教えること」を不可分のものとして捉えた実践記録であ…
昭和22年(1947年)、戦後の新しい教育のもとで初めての指導要領が示されました。 その中には、「自由研究」の時間がしっかりと位置づけられていました。 なんと、4〜6年生に70〜140時間が配当されていました。 これは、子どもたちの個性を伸ばし、自発的…
1940年、平野婦美子の教育実践記録が生まれました。 その瑞々しさと力強さに満ちた記録は、「ここから教育実践がはじまった」とまで評されています。 東井義雄が「東洋のペスタロッチ」と称されたように、平野婦美子は「若き女ペスタロッチ」と呼ばれました…
社会科の本道は、児童の実態に即し、彼らの考え方や価値観の発展に寄与することである――重松はその信念を繰り返し説きました。社会科教育の本質がそこにあるからこそ、その指導は一筋縄ではいかず、現場の教師たちは絶えず創意工夫を求められます。その難し…
「実践記録の特殊と自己の実践の特殊とをつきあわせ、その間に普遍的な価値を見出し、日本の教育の歴史のなかへ位置づけてゆくという態度で自らの実践の方向をもとめていくのでなければならないのではないか。そういう実践記録からの学び方があるにちがいな…
昨日の「読み込む会」を受けて読み返した一冊。発刊は1953年。社会科に対する批判がたくさん浴びせられた頃です。その中でこの本は、社会科の本質に立ち返り、社会科を再び社会科たらしめようという強い意図を持って編纂された一冊です。全巻を通して貫かれ…
探していた本です。装丁(黒に赤字)、めちゃ渋いな(^_^;)さて、池田小菊は1892年に生まれ、和歌山県女子師範学校を卒業後、小学校教師としてのキャリアをスタートさせました。彼女は大正時代の自由教育運動に影響を受け、実験的な教育活動を展開すると同時…
石橋勝治(1949)『一年生の教室記録』は、戦後の教育現場における一つの灯台のような役割を果たしている一冊です。 この本は『石橋勝治著作集7』にも収められていますが、その「はじめに」で述べられている石橋の言葉は、今でも深く共感させられるものがあ…
本書は「はしがき」冒頭から熱いです。 抜粋します。 「社会科の動向は、日本の教育の動向であり、日本の動向である。 風浪の高い中にも、ゆるぎのない教育を求めて進む人々がある。この人々は、日本の国を憂うるがゆえに、日本の子どもを、真にみずから考え…
1940年、平野婦美子による瑞々しい教育実践記録。「ここから教育実践がはじまった」とも言われています。東井義雄が「東洋のペスタロッチ」と呼ばれたのと同様、平野婦美子は「若き女ペスタロッチ」と呼ばれました。そこからどのような実践をされていたのか…
『公民教育用書』とは、戦前の修身教育に代わって新しく構想された公民科のための教師用指導書のことです。 しかし、社会科の新設が決定し、幻の文書となりました。 その全文が収められている貴重な一冊。 ここに教育原理としての問題解決学習の考え方が示さ…
無性に遡りたくなる時があって、今日はこの2冊から戦後社会科を。木村氏の書は、実践者の立場で記している一冊。この時期、こういう実践者目線での生の記録はほんと貴重。味わいました。
■戦後社会科と問題解決学習 「今後の教育、特に社会科は、民主主義社会の建設にふさわしい社会人を育て上げようとするつもりであるから、教師はわが国の伝統や国民生活の特質をよくわきまえていると同時に、民主主義社会とはいかなるものであるかということ…
問題解決学習の代表的実践「西陣織」の永田時雄氏の書です。多くの社会の矛盾から目を逸らさずに真っ向勝負している氏の書。 熱いです!
大正期における新教育の共通点は、児童中心の教育であり、子どもの個性を尊重する教育であり、自学主義の教育でありました。その中でも、木下竹次の奈良女高師附小における新教育は「奈良の学習法」の名において、大正時代後半の教育界を風靡しました。「奈…
ボロボロの本だけど、中身は濃い。 ■今は理論の時代ではなくて実践の時であり、行動の世紀である。■実践は決して理論の単なる実現者ではなくて、先行する理論の実践者であり、理論の価値の検討者であり、修正者であるとともに、新しき理論の母である。真に実…
『村を育てる学力』ではなくて、『村を育てる教育実践』。こちらは埼玉県。16年に及ぶ記録をもとに、生きた教育実践書です。こういう実践記録は宝。
再読。1940年、平野婦美子による瑞々しい教育実践記録。「ここから教育実践がはじまった」とも言われています。東井義雄が「東洋のペスタロッチ」と呼ばれたのと同様、平野婦美子は「若き女ペスタロッチ」と呼ばれました。そこからどのような実践をされてい…
日本民俗学の成果を基盤とした内容と方法原理による社会科である「柳田社会科」。 しっかり勉強せねばとずっと思っていました。 そのための必須書籍がこの2冊。 柳田社会科の「出発」と「発展」がよく分かります。
新教育運動の流れを汲む学校のあり方を探っています。 星井町小学校は「自啓教育」を掲げ、自己学習、協同学習、輔導学習を柱としていました。 ダルトン・プランのパーカスト女史も訪れた学校。 学習指導案も、指導案ではなくて「輔導案」。 言葉一つの違い…
『学級革命』小西健二郎 戦後の混沌と激動を包みこんだ10年。 小西健二郎氏が20代の頃の実践。 当時の子どもたちの綴った文章と共にありのままを記述しています。 ホンモノの「実践」とはこういうことだと知らしめられます。 一人ひとりの子を誠実に深く…
どういう動きがあって今に至るのかを概観しておくことは重要。
昭和22年(1947年)、戦後教育最初の指導要領の中には「自由研究」の時間がありました。4〜6年生まで70~140時間が配当されていました。子どもの個性を伸ばし、自発的な活動が行われる余裕の時間として設けられていました。しかし、昭和26年(1951年)の改…
ふむふむ。 はじめて「学級経営」という名前のついた書物は澤正の『学級経営』(1918)か。 ふむふむ。 清水甚五が1925年『学習法実施と各学年の学級経営』を著した際、当時の奈良女子高等師範校長槇山栄次から言われたのが、 「教育に経営ということばを使…
雑誌には、「永久保存号」が存在します。これは、正にその中の一つ。視点は人それぞれだけど、みんなでそういう号を集めたら面白いだろうな、と思っています。みなさんにとっての「永久保存号」があればぜひ教えてください。
すごい一冊が届いた。こんな表紙見たことない(^_^;)掲載されている人物や当時の様子の写真ががすごすぎるwこういうの、貴重な資料だよなぁ。地域の偉人について子ども達といっしょに追究したい。
『進みつつある教師のみ人を教うる権利あり』 ドイツの教育学者ジステルエッヒの言葉です。 『現状維持は退化』という言葉があります。 厳しい 言葉ではありますが、我々教員が進んで伸びようとする姿に子どもは感化されます。 教師は子…
「大正の日本教育はステキでした。教師たちは財布の底をはたいて本も買いました。本屋に借金のあるのは教師の誇でした。外や上からの圧迫はひどかったが、内は燃えていました。」by小原國芳(1972) 50年後、100年後に、今の教育もステキだっていわれるよう…
再読した書。生の実践記録の数々。加藤賀一はけっして著名な方ではないでしょうが、僕は本当に好きです。氏の人柄と誠の心が書の言葉の数々から十分に伝わります。何が大切かを教えてくれる。派手さなんて一切いりません。ただ地道に誠実に。そこに教育の本…
インパクトのある表紙だな(^_^;)