2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧
どちらも大切にしたい。
授業を考えることは、一人ひとりの子ども(学習者)を理解するということ。 UDも個別最適な学びも、原点はここだろう。 学習者の学びを通じて、あるべき教科教育の姿を見出していくこと。
今回の「発問」にかかわる書籍で参考にした文献は以下の通り。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー若林虎三郎, 白井毅編(1883 )『改正教授術』普及舎谷本富(1894)『実用教育学及教授法』六盟館槇山栄次(1898)「発問法に関する研究」(『教育実…
初埼玉です。 ■第57回Clover 「宗實直樹と学ぶ!社会科授業づくりセミナー秋in大宮2024」 日時:2024年10月26日(土)9:15~16:30 講師:宗實直樹(兵庫・小学校) 登壇:紺野悟・伊波大夢・永嶋邦博・塩田海斗・岡川陽介・大内秀平 会費:4000円 場所:さい…
2時間の授業の記録が1冊の本(300p)になるって、その事実がほんと凄いよなぁ。 「築地先生の人生観が子ども達を変えている」ーこれが結論のすべてである。これでは、役に立たない、が、結論は結論なのだ。p279 教育感、教育に対する姿勢、子どもたち…
兵庫教育大学大学院修士課程(芸術表現系教育コース美術分野)で学んだ内容について書かせていただきました。 kyoiku.sho.jp
【第83回『社会科の本を読みこむ会~読書編】 日時▶ 5月25日(土) 20:00~21:00 場所▶Zoom内容▶ 『人間を大切にする社会科学習』 島根県社会科教育研究会著 (明治図書 1981) 資料代▶1000 円おもしろい一冊です。参加される方はお気軽にご連絡ください^_^(7321s…
何かを始める際の「第一歩」ってとても大切。本書に記されいる学校は緒川小のようにように有名な学校でもなく、特別な施設がある学校でもない。小規模校にある問題意識をもちながら取り組みをはじめた歩みとその足跡が記されている。そういう地道な実践から…
「教師にとっての実践記録とは、教師が教師として、子どもたちの発達に関わっていけるような自己形成=主体形成をとげていくために書き続けられるものといえる。したがって教師として、子どもに賭ける情熱のないところからは、すぐれた実践も、実践記録も生…
教師の役割について考えさせられます。『カルテを生かす社会科』の中に、次のような箇所があります。「このようなそれていく授業に対しては、えてして教えこんでしまったり、ヒントを与えて自分のひいた路線へひきもどそうとしたりしがちである。ちょっと横…
【木下竹次】木下竹次の『学習原論』は何度も復刊されています。今も在庫が少し残っているようです。https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-056424-6必須の一冊です。木下竹次をさぐるにあたっての最もおすすめの書は、木下亀城・小原國芳編(1972)『新…
重松鷹泰氏が1972年3月名古屋大学教育学部を定年退官するに際して2つの記念出版が計画されました。 一つは門下生を中心とした論文集、上田薫・三枝孝弘編『教育実践の論理ー子どもの追究ー』です。 もう一つは、重松氏自身の論文集です。 重松氏の門下生が…
60年代、70年代は、詳細な授業記録が掲載された書がバンバン出版されていました。それが80年代になると陰を潜めてきました。ネタによる授業や法則化運動等、すぐに使える授業に流れはじめたからです。(もちろん、これはこれで必要です)今はそれに加え、個…
「この子」の「気づき方」に特に興味をもっています。子どもの「気づき」を支える条件がいっぱいあると思うので、そこをさぐって明らかにしていきたい。
味のある装丁。もちろん中身も^_^
夏の栃木です! よろしければご参加ください^_^ docs.google.com
『ALWAYS3丁目の夕日』3部作がプライムでしていたので、おもわずすべて観てしまった。実は、僕がはじめて社会科の研究授業をしたのが今から10年前。6年生の「戦後」の授業でした。当時、何かヒントをもらえるのではないかとこれらを観ていたんだけど…。…
今日でブログ記事も2000号になりました! このブログをきっかけにお声がけいただいた方もおられます。 読んでくださってわざわざメッセージくださる方もおられます。 そうやってつながる一つのツールとなっていたり、どなたかの何かのお役にたっているのであ…
おそらくGWあけた頃から研究授業がぼちぼちと始まっていく。指導案を書くことになるだろうけど、気をつけたいのが「本時の展開」などに見られる「学習活動」と「支援」。 ■学習活動「学習活動」では「知る」「考える」「理解する」「意欲をもつ」など、思考…
みなさん、ぜひ熊本へ(^o^)
教材研究、素材研究、教材開発、素材、教材、教材化、似たような言葉を整理してみました。
これもこんな感じかなぁ。ほんまもんの学習問題になるかどうかがミソ。
そう、そもそもなぜ戦没画学生の絵なのか、無言館をつくったのか…。 伊那小の総合も同じく「なぜ蚕なのか?」「なぜ◯◯なのか?」 その動機や文脈やそこに至るまでの物語を知っておきたいと思う。
「用語」があいまいであることに対する無自覚は、実践自体をあいまいにすることにつながることもある。 それでもやっぱり実践から「用語」が表す意味をより明確に深くたわやかにしていきたいなと思う今日このごろ。