授業分析
本書には、多くの授業記録が収められています。その中の一つを読んだとき、僕は強い既視感を覚えました。まさに、自分自身が過去に経験した授業と「同じ状況」がそこにあったのです。「そうそう、あるある!」と共感する気持ちと同時に、「では著者はこの状…
これは、「初志の会」としての初の単行本。 足場は主体の内部、外部いずれにあるのか…。 いろいろとさぐりっています。 斉藤雄三氏のご実践をもっと掘り起こしたい。
「授業分析という仕事は、学校の体制を大きくゆり動かす。これはわたくしたちの最初予期しなかったことである。学校長以下職員の授業を見る目、子どものとらえ方が、飛躍的に深まり、教職員全員の協力(男女、新進と熟練者、教科分担などの区別を超えての協…
堀川小と同時代に行われていた光小の授業研究を振り返りながら、その足跡をたどるのは実に面白い。 光小が当時どのように実践し、子どもたちの学びに取り組んでいたのかを追ってみると、教育の多様なアプローチやその革新性がより鮮明に浮かび上がります。 …
「子どもがする授業」は、従来の「授業は教師がつくるもの」という考え方から一転し、子ども自身が授業を創造するという理念に基づいています。これは、子どもの可能性や人格を尊重し、子どもたちが授業に寄せる願いや主張を教師が鑑みて、授業の進行を子ど…
鈴木正気「川口港から外港へ」 70年代に行われた鈴木正気の実践は73年の「うおをとる(2年生)」、74年の「久慈の漁港(5年生)」、76年の「いさばや(3年生)」、77年の「川口港から外港へ(4年生)」となっています。すべて水産業としての教材で一貫さ…
本書には4本の授業記録と考察が記載されています。 その中の一つに、僕が経験した状況とまったく同じ状況の授業記録があります。 「わかる」と共感すると共に、それを著者がどう考察したのか、自分との差異を見ます。 自分にはない捉え方、子どもの見方がそ…
重松鷹泰・上田薫・八田昭平編(1963)『授業分析の理論と実際』黎明書房 当時大きく取りあげられていた「授業分析」について、理論的に事例的にまとめられた591ページに及ぶ大著。 本書ができるまでに研究者、実践者が共に協力し、約10年の歳月を要してい…
先程の「早朝社会科倶楽部」の中で、指導案について話題になりました。 指導案、変わってきていますか? それとも50年以上前の形の踏襲でしょうか? 「学習案」になったりしてるのかな? 何のための指導案? 「指導案」の話だけでも1時間は議論できるなと…
60年代、70年代は、詳細な授業記録が掲載された書がバンバン出版されていました。それが80年代になると陰を潜めてきました。ネタによる授業や法則化運動等、すぐに使える授業に流れはじめたからです。(もちろん、これはこれで必要です)今はそれに加え、個…
これらの書を読めば、「子どもがする授業」が「結果」ではなく、「過程」だということがよくわかります。形だけを追い求めると形骸化し、本質が見失われてしまいます。これはどの授業実践でも同じ。
授業分析は、「個」を追究するために行われるもの。
有田和正の有名なバスの運転手やポストの授業が、よく取り上げられる発問レベルではなく、指導案、単元、そして詳細な授業記録レベルで記されている、必須の一冊です。
今年も国語科のおもしろさを味わわせてもらっています(😊)今井鑑三、よい。子どもの「表現」は、最高。
事象理解の3つのベクトル。意識すると、より「見える」ようになります。
「授業分析という仕事は、学校の体制を大きくゆり動かす。これはわたくしたちの最初予期しなかったことである。学校長以下職員の授業を見る目、子どものとらえ方が、飛躍的に深まり、教職員全員の協力(男女、新進と熟練者、教科分担などの区別を超えての協…
本書には4本の授業記録と考察が記載されています。 その中の一つに、僕が経験した状況とまったく同じ状況の授業記録があります。 「わかる」と共感すると共に、それを著者がどう考察したのか、自分との差異を見ます。 自分にはない捉え方、子どもの見方がそ…
木原健太郎(1958)『教育過程の分析と診断』誠信書房 日本ではじめて「授業分析」について語られた書です。 どのような必要感のもと分析が進められてきたのか、どのような方法で分析をされていたのか、まずはそこからあたりたいと思います。 以下は整理した…
木原健太郎(1958)『教育過程の分析と診断』誠信書房 日本ではじめて「授業分析」について語られた書です。 どのような必要感のもと分析が進められてきたのか、どのような方法で分析をされていたのか、まずはそこからあたりたいと思います。 以下は整理した…
木原健太郎(1958)『教育過程の分析と診断』誠信書房 日本ではじめて「授業分析」について語られた書です。 どのような必要感のもと分析が進められてきたのか、どのような方法で分析をされていたのか、まずはそこからあたりたいと思います。 以下は整理した…
1学期、授業動画などを撮っているのなら、夏休みの間に文字起こしをして授業記録を残すことをおすすめします。 その「事実」から、驚くほど多くの気づきが得られます。
重松鷹泰・上田薫・八田昭平編(1963)『授業分析の理論と実際』黎明書房 当時大きく取りあげられていた「授業分析」について、理論的に事例的にまとめられた591ページに及ぶ大著。 本書ができるまでに研究者、実践者が共に協力し、約10年の歳月を要してい…
重松が授業研究に取り組んだのは1952年。(『追悼集p591より』 1954年、重松鷹泰氏が教育研究の一方法として「授業分析の方法」を提唱することになりました。当時、教育方法研究室の助手であった竹中輝夫(1964)は、次のように述べています。 「昭和二九年…
「授業研究」の目的は、授業の中で新たな子どもの思考や活動を発見することです。一言で言えば、「子ども理解」です。子どもを新たな視点で捉え直す行為こそが、授業研究の本質であると考えられます。 一般的に「授業分析」と言われると、授業の中での教師…
名著『はじめに子どもありき』を著した平野朝久氏は、『追悼集 重松鷹泰先生』の中で、授業記録から分析する方法のことを 「本当に大事なことは時間やてまひまのかかることなのだと思います。」 と述べています。 やっぱり僕たち教師は「てまひまのかかるこ…
授業研究や授業分析に関する本によく目を通します。 2年前、一人一台端末が導入されて様々な形式の授業が行われていましたが(自分も含め)、やっぱり授業の本質や教科の本質についてしっかり捉えたいなと思います。 そういう意味で、どんな形式の授業でも…
長岡文雄氏(1976)は、 「1960年ごろから授業分析は活発になり、それがこの15年間で教育研究に果たした役割は大きい」 ということを述べています。 その中で、「授業記録に魅力が欠けている」とも指摘しています。 原因を「記録における教師のつぶやきの不在…
「授業分析というのは、資料にもとづいた個の追究です。録音や録音から持ち出したものを、一生懸命みて、そうすると、そこに現れてきた児童の個が、みえてくる。また、児童の個がみえなくて、まごまごした自分や、個がみえてきて、それを励まそうとした自分…
質の高い自己学習を進めるためには、「問い」を立てた後が大切です。 ただ「問い」を立てればいいというわけではありません。
授業デザインということで意味するのは、授業を対話の場として構想するということである。デザインを規定するのは対話である。デザインとは、ひと・もの・こと相互の対話の関係の構想と表現である。したがって授業のデザインは、教師と教材(文化)、教師と…