2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧
比較して「概念」を深めることで子どもが発言する内容も変わってきます。 例えば海津市(低い土地)の事例の学習後は、「海津市では、豊富な水を生かして農業やレジャーに営んでいる」という海津市のみに通用する具体的な知識内容です。 その後、嬬恋村(高…
一般化を図る単元モデル例。
「三方よし」 5年生の産業学習でも大切にしたい。
教師にとっての実践記録とは、教師が教師として、子どもたちの発達に関わっていけるような自己形成=主体形成をとげていくために書き続けられるものといえる。したがって教師として、子どもに賭ける情熱のないところからは、すぐれた実践も、実践記録も生ま…
実践記録は、教師の綴方だと考えている。子どもたちの綴方が、子どもたちの生活の記録であるところにそのねうちがみとめられるように、実践記録は教師の生活記録であるところにねうちがある。もちろんここでいう生活とは、教育実践を中核にして、そこにぶつ…
柳田國男の談話という形で成城教育研究所から発刊された『社会科の新構想』(1947)。その最後の柳田の言葉は次の通りです。 「私の要求が性急に聞こえるのは、全く年をとっているからです。世の中がほんとうに明るくなるまではまてないから、今のうちに確信…
実践記録は、教師の綴方だと考えている。子どもたちの綴方が、子どもたちの生活の記録であるところにそのねうちがみとめられるように、実践記録は教師の生活記録であるところにねうちがある。もちろんここでいう生活とは、教育実践を中核にして、そこにぶつ…
「個別化を奥深いものにすること」 「集団化に急であるあまり、集団的なものをたんに 否定すべきものとしか見ないことは、むしろきわ めて重大な自己矛盾をひきおこす因をつくるもの と、わたくしには思えるのである。」 集団は手段であって、目的ではない。…
往還することが大切。
子どもに教えられることのない教師は、発展がない。
上田薫(1958)は、社会科と生活綴方の共通点を挙げています。 ・生活綴方が子どもの具体的な生活に基盤をおいているということ ・子どもの主体性が確保されているということ ・つねに動く不安定のなかに、そのまま安定を発見するということ です。 生活綴方…
情は、すなおに生きている人の心のはたらきです。 教養のある人というのは、人間性の豊かな人であり、情を知る人である。 重松鷹泰(1979)『子どものための教育』国土社 より
「個別化教育」ブームのようになっていた1970年〜80年代。 加藤幸次(1984)は「小手先の対応に終ることを恐れる」と題し、「いともたやすく、個別化教育に乗り換えること」に対する危惧の念を記していました。 いきなり「個」や「一人ひとり」に関心を示す…
「個別学習」において大切なことは、決して放任の学習ではないことを心得ることです。 現状の個別学習だけでは不十分だと判断すれば、教師がある子の考えを共有したり、全員に新たな課題を提示したりすることが必要です。 もちろん、子どもの思いや願いを無…
教師が立往生するような授業はすばらしい。人間は立往生でこそ裸になる。そこから道を切りひらいてこそ活力ある授業が展開できる。眼前にいる子どもをどれだけ深くとらえることができているか。深くとらえるほど教師は立往生し、また深くとらえるゆえにその…
品格あるひとは飾らぬ人、とくに虚飾をきらう人であるとわたくしは思う。また、こせこせせず、ものほしげでない人であると思う。そういう人は小欲をはらぬから、ものもよく見える。視野広くゆとりをもち、十分にことを待つこともできる。あわてて自分を押し…
■個別化教育の分類枠
「ゆさぶり」発問は、むしろ、子ども同士のなかで、子どもが、「ゆさぶり」発問をしあう関係を触発していくものとしていくべきである。いつも教師は「ゆさぶる人」子どもは「ゆさぶられる人」という関係の考え方は旧いのである。子どもひとりひとりが「自問…
社会科における教材は、生きた現実の社会である。教科書というものもあるが、これは教材の一部にすぎない。 社会科は、教材を教えるというより、教材で、社会におけるひとりひとりの個性的な生き方を創造させていくのである。 子どもたちは、どういう教材に…
このシリーズはそれぞれの題名からして素敵。 「熟知している隠れたよき教師たち十人を選び、それぞれ特徴ある子と取り組んだ過程を赤裸々に描いてもらった。(まえがき)」 赤裸々な記録。 これがほんといいんです。 今では、個人情報保護の観点などからこ…
故・市野茂良氏作の花器。 この色、模様に惚れました。
長岡文雄(1976)は、『社会科のゆさぶり発問』の中で、 「「ゆさぶり」発問は、教材に子どもをかかわらせ、その核心となるものにふれて、自己変革を遂げさせるものである。」 「「ゆさぶり」発問は、実に、子どもが、自らの力で、自らをつき動かしていく力…
今村資泰(1981)は、『国語科のゆさぶり発問』の中で、 「『ゆさぶり』発問は、教師が問いを発し子どもの心をゆさぶる行為であるから、教師は、子どもたちの思考の流れだから、「ゆさぶり」発問は、人間的授業技術なのである。 子どもたちの思考の動きに乗…
佐々木俊介(1984)は、 「発問は子供に、ある時間にあることがらをある角度から強要し、即座の返答を求める。子供がそれに興味がなくても、あるいは他の角度から考えてみたいときにも、容赦はしない。おそらく黙って静かに考えたいのではないかと思われ…
そもそも「個性」とは何なのでしょう? 「個性を生かす教育」と言われますが、「個性を生かす」とはどういうことなのでしょう? 篠原助市(1935)は『増訂 教育辞典』(宝文館)の「個性と教育」の項で、教育の立場から見ての個性の捉え方について次のように…
「アートの視点」「サイエンスの視点」の両方から迫っているのがおもしろかったです。 富本憲吉の作品も堪能できました。 「模様より模様をを造るべからず」 年始だったせいか、他に人はほとんどおられませんでした。 作品独り占め状態でした。 いつもゆった…
授業デザインということで意味するのは、授業を対話の場として構想するということである。デザインを規定するのは対話である。デザインとは、ひと・もの・こと相互の対話の関係の構想と表現である。したがって授業のデザインは、教師と教材(文化)、教師と…
みなさま、明けましておめでとうございます🌅 毎年恒例の今年行った美術展ベスト10…のはずですが、昨年はほんまに行けてません(>_<) 今回はベスト5にします…。 1位『生誕130年 河井寛次郎展―山本為三郎コレクションよりー』アサヒビール大山崎山荘美術館 抜群…