美術館へ好んで訪れます。
なぜか?
「ホンモノ」に出会えるからです。
紙面で見ている絵とはやはり違います。
そのサイズ感であったり存在感であったりは実際に実物を観なければわかりません。
絵の表面の艶や微妙な凸凹なども実物を観なければわかりません。
そしてその「ホンモノ」から多くのことを感じることができます。
奥村高明氏は著書『エグゼクティブは美術館に集う』の中で「一瞬でも本物の経験をするとそれまで学んだ知識が全部つながって大きく飛躍する」と述べています。
美術鑑賞をすることで、そのものと自分のもつ知識や経験などが結び付けられたり再構築されたりするのでしょう。
その瞬間を大切にしたいものです。
感覚を研ぎ澄ませていきたいものです。
美術館へは、対話しに行きます。
いっしょに観て後で語れる者がいれば愉しさも倍になります。
しかし、語れる者がいなくても、絵画と対話することはできます。
自分自身に「なぜ?」「これはどういうことだろう?」と問いをもちながら対話できます。
絵の内容はもちろんその技法であったり表現であったり…。
コミュニケーションを図っているのです。
人がコミュニケーションを図るときはすべての思考と感情を総動員させます。
そういう感覚を与えてくれるのもまた美術館なのです。
そこで生まれた「?」を持ち帰り、家で調べることもまた愉しいものです。
絵自体の「来歴」を調べることもおもしろいです。
その絵そのものの歴史と物語を感じられるからです。
福のり子氏は、「美術館とは、人々の生活や社会が実際に直面する問題に密接な関わりと役割を持ち、人々が既に持っている知識、考え、感情に何らかの変化を及ぼし、問題提起を行い、価値観を揺さぶることのできる公共の施設」だと述べています。
自分の中に新しい何かが生まれるような感覚があります。
「すごい」「美しい」「うっとりする」「なんだこれは!?」すべて感覚的な言葉です。
しかし、その感覚的な言葉が引き出されるからこそ、その後に「問い」や熟考が生じます。
美術鑑賞が人間を人間らしくさせることがよくわかるます。
奥村氏も言うように、最近美術館へ通うエグゼクティブが多くおられます。
何を「美しい」と思えるか、その感覚を養い続けることの大切さを感じます。
「審美眼」です。
「審美眼」をもち、よりよい意思決定ができるようにしたいものです。
これは、意識して磨くべきものでしょう。
ちなみに、美術館へ行く時間のおすすめは夕方です。
閉館1時間前などが望ましいです。
比較的人も少なくゆっくりまわることができます。
これは余談ですが…。