社会のタネ

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799 考えあう授業

長岡文雄(1972)は、「考えあう授業」について、次のように述べています。

 

 考えあう授業は、教育の便宜上として存在するものではない。人間となるには、自分らしく考えることを学ばねばならないし、人間として生きるには、他とともに考えあっていかねばならない。他とともに生きる喜び、人間としての生きがいを求めて授業もつくられていくべきである。

 

 「考えあう授業」とは、「人間らしく生きることを学ばせていく授業」だと捉えることができます。またそれは、「人間性の追究」であり、「子どもの可能性の追究」であると言えそうです。

 「考えあう授業」についての長岡の考えを抜粋し、以下に記述していきます。

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・考えあう授業は、子どもひとりひとりの個性的な思考体制を中心にして成立していく。

・考えあう授業は、子どもにとって必然性をもつものである。

・考えあう授業は、ひとりひとりの子どもの思考体制をもとにして成立するが、その思考体制をつかむのは、なかなかむずかしいことである。

・考えあう授業は、いいかえれば「つぶやきに根ざす授業」でもある。

・考えあう授業は、ひとりひとりの個性的思考そのものをゆさぶることをねらいとする。

・考えあう授業は、個性的に、人間らしく考える子どもを生み、それを育てていく授業である。

・考えあう授業は、「個を生かしきる集団づくり」とともに可能である。

・考えあう授業には、みんなで考えあう共通の問題を必要とする。

・考えあう授業での問題は、折々の静まりかえりの底にあるとみられる、子どもたちの住む世界に迫るものでる。

・考えあう授業においては、共通問題の成立と解決に意を用いるが、それに欠かせないものは教材である。

・考えあう授業に生きる教材には、子ども自身のつくり出す教材もある。

・考えあう授業は生きた流れをもっている。

・考えあう授業では、この生きた流れを生むひとりひとりの体制づくりを重要視する。

・考えあう授業を生きたものとするには、「ゆとり」が必要である。

・考えあう授業では、考えあうことによって明らかになったこととともに、より不明確な点、新しい矛盾のあり方を求めるためにまとめる。

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 「考えあう授業」を通して、「子どもを育てるということ」の意味を問い直していきたいものです。

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〈文献〉

長岡文雄(1972)『考えあう授業』黎明書房