『授業づくりネットワークNo.30―授業記録を読もう! 書こう! 』を読んで大いに刺激を受けました。
これは多くの方に読んでいただきたい一冊です。
本書は授業記録を「読む」ことを中心に書かれています。
題が「読もう!書こう!」であるのは、「実践者だったら記録を書こうよ!」という意図で背中を押されている感じがします。
と共に、そこには教師が記録をしなくなったことへの警鐘が鳴らされているのではないでしょうか。
授業記録をもとに書かれている書籍や、個人の授業記録、我々サークルの授業記録を読み返しました。
そして、そもそも「なぜ授業記録をとるのか?」について考えさせられました。
「なぜ授業記録をとるのか?」
それは自分自身の力量形成のために他なりません。
授業記録をとることで、自分自身の説明、指示、発問を確認できます。
また、子どもとのやりとりや対応も確認できます。
つまり、自分自身の授業のありかたを客観的に把握することができます。
しかし、授業をただ「記録」するだけで本当に力はつくのでしょうか。
まず大切なことは、「授業記録をどう使うか」です。
授業記録をとるだけではだめです。
ではどうするべきなのでしょうか。
記録した内容を読みこみ、授業全体を分析、考察するべきです。
そして、次は場面場面の詳細を見ていきます。
授業中ではみとれなかった子どもの動きや子どもの発言内容の解釈などを書きます。
授業中に考えていたことも書き、記録とのズレを比較することもいいでしょう。
記録をとるだけでなく、自分自身の授業行為や思考についてメタ認知を働かせることが重要だと感じます。
次に、授業記録と考察を第3者に「読んでもらうこと」です。
授業を参観してもらった人ならなおさらよいでしょう。
自分の分析と読み手の分析とにズレが生じるはずです。
そのズレについて対話的に話すことが望ましいと考えます。
自分の意図を話すことで自分が授業で大切にしていることの整理もできます。
おそらく自分自身が気づけなかった点への指摘ももらえます。
他者からの気づきを多く得ることができます。
自分自身だけの分析、考察では限界があります。
読んでもらい、対話することでより深く考察できるようになるのです。
最後は、他者の「授業記録を多く読む」ことです。
ただし、批判的に読むことが肝要です。
常に「自分ならどうするのか」という思考を入れながら読む。
常に代案を考えながら読むのです。
他人の授業を読んでいて、その様子が浮かびやすい記録とそうでない記録があることに気づきます。
どれだけ詳細に書かれているかどうかです。
記録者の分析や主観は必要です。
しかし、記録(事実)の量が少なければ読者には様子が見えてきません。
授業はすべて記録する。
そこに分析や主観を入れていくようにしたいものです。
私自身が他者の授業記録を読んで気づいたことです。
我々は子どもの姿で勝負します。
事実で勝負します。
その詳細な記録(事実)があるからこそ語れることが多くあります。
事実から反省することが多々あります。
反省をするからこそ次につなげることができます。
つまり、授業記録をとることは、反省的実践を繰り返すことの礎となるのです。
事実を真摯に受け止め、思考し、自分の行動やあり方を柔軟に調整させることができる。
そういう意味で、授業記録をとり続けることの意味は大きいでしょう。
(2018.8.7 fbより)
とまあ、以前こんな感じのことを書いていました。
本当に忙しい毎日でここまではなかなかできないのが現実ですよね…(^_^;)
でも、
「子どもの事実で勝負する」
「反省的実践を繰り返す」
このことは、常に肝に銘じておこうと思います。
授業記録、最近とれていないなぁ…(^_^;)