社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

1000 資料にもとづいた個の追究

「授業分析というのは、資料にもとづいた個の追究です。録音や録音から持ち出したものを、一生懸命みて、そうすると、そこに現れてきた児童の個が、みえてくる。また、児童の個がみえなくて、まごまごした自分や、個がみえてきて、それを励まそうとした自分などが、みえてくる。個の追究が、確かになってくる。分析は、個の追究であると同時に、幾人もの児童の個が、どう関連するか、更に、教師の個が、どう関連するかを追究することです。

 私のねらう授業分析は、授業した先生が、児童達がどう育っているか、個の把握をしてもらうためのもので、これで模範的な授業ができると考えないで下さい。現場の先生の中で、授業記録をとって分析すると、自分の子どもに対する見方が変って、そのために子どもが伸びていく実感を得たという、うれしい報告もあります。人から、こうやれば、いい授業ができるなんていうのでなく、児童の個を追究することによって、自分の個を育て、心が通じ合い、生きた授業というものが成立する。

 さて、そういう意味からいうと、分析というのは、実践なんです。児童をよくみる力、いろんなもの(教材)を使い、友達との関係を見、教師の発問、動きとの関連で、児童が、どのように動いていくのか、その中で、児童の個の確立が、どのように進行していくか、それを願いとして、働きかけていく実践なんです。勿論、教材、切り込み口になる問題など選び、その問題に対し、児童が自分の個をもって、どういう構えをとり、どう対応するかをとらえながら、実践を進めていく。一応、授業のねらいが達成したという授業ではない。つまずいてもいい、一人の子が、とんでもない問題を出して、それを考える。皆も、やっきとなり全身する。つまり、個を確立するために、授業をする。技術じゃない。技術にいく前に、個の確立ということ、それを、自分の個の形成と重ね合わせながら、じっと考えていっていただきたい。」

 

 これは、学習研究連盟編(1996)『追悼集 重松鷹泰先生~子どもの自立と教師の自立を』の中に収められている重松鷹泰の講演記録です。講演日は19891125日。場所は、長野県・上水内教育会館。今井洋一が筆記責任となっています。少し長い引用ですが、ここに、授業分析の本質が詰められていると感じています。

 

 「資料にもとづいた個の追究」と重松は言い切っています。では、そもそも「個」とは何なのでしょうか。重松(1994)は、次のようにまとめています。

 

「個とは、第一に一人一人のこと、ひとのことで、かけがえのないユニークな存在である。第二には、個といいながらも周りのものとつながっており、しかも、周りのものをもって代えることができないものである。第三に、そのつながっている全体に対して責任を感じ、責任をとろうとするものである。第四に、自分はこれでいいのか、というふうに謙虚なものである。」

 

 そして、「人とは、何だということを考えることが、個の追究である。」と言い切っています。氏が、全体的に統一を図って考えていることがここでもよくわかります。

 

〈参考文献〉

上水内教育会研究調査部編(1994)『重松鷹泰講演集 歩み続けむ』上水内教育会

学習研究連盟編(1996)『追悼集 重松鷹泰先生~子どもの自立と教師の自立を』

 

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実は今回でブログ1000回目の記事です。

1000回目記念!」

みたいな感じで何を書こうかと色々と考えていましたか、止めました。

普通にしようと決めました。

日々、当たり前にしてきていることを当たり前に続けること。

これがやっぱり大切です。

 

このブログを開設したのは2019年何39日。

かれこれ3年半になります。

何事も10年は続けないと何も見えてこないと考えています。

しかし、ここまで続けてこれたのは、読んでくださっている方がおられるからということです。

それは間違いありません。

日に日に読んでくださる方も増え、個人的にメッセージをくださる方もいます。

そこから生まれたつながりが今も続いています。

まずは、やっぱりそのことに感謝しなければいけないです。

本当にありがとうございます!

 

今後もまたダラダラと続けていくつもりですが、どうぞお付き合いください。

日々是好日。

日々感謝(^_^)