社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

1236 森のやうな教師 

 

 環境の多様と言ふことは、文字通りに、デパートメントストアの中に、子供を立たせることであってはならない。デパートメントストアの中では、子供の欲望は限りなく、そそられる。子供の神経はいらいらと動く。でも一つとして、子供の魂を動かすやうな偉力は、そこには存在しはしない。騒がしい学習は子供の自然とは言ひながら、その騒がしさ吸ひ込んで、永遠の静けさをほのめかす、あの森の静けさが恵まれなくては、子供の魂は育ちはしない。デパートメント式実験室、そこから生まれる子供は、おっちょこちょいな子供か、一寸した刺激にも動かされる神経の持主で、しかもあきっぽい現代人か、凡そそんな人間が養成されるであろう。

 環境多様、それは静かな森に、子供を置くことである。森はしんとしている。そこには静けさの他には何もないように見える。然し、子供が一つの玩具を造りたいと思へば手頃な一枝を求めることが出来る。聞かうとすれば小鳥も鳴いている。子供たちが、どんなに騒いでも、それは一そう森の静けさと、魂の存在とを思はせてくれこそすれ、森の中の子供は神経衰弱とはならない。願はくは私は教師として、デパートメントストアの経営者でありたくはない。出来ないまでも、森のような教師でありたい。   野村芳兵衛(1926)『新教育に於ける学級経営』より

 

森の静けさによる恵み、この感覚もよくわかる。
教室の凜と佇む空気感を大切にしたい。
「森のような教師」か〜。