「授業における教師の主体性というのは、教師の意図を直接さらけ出すことではない。子どもたちの言葉を新鮮に受け止め、そこに自分を見出すことである。
子どもの言葉は曖昧である。
ぼんやりとしている。
その中に、自分の教えたいこと、大切にしたいことを新鮮な感覚で見いだし、子どもたちの問いをそこに持っていく。そういう力を教師として持ちたいと思う。」
正木(1989)『子どもの個性が生きる授業』p117
正木孝昌氏、やっぱり好きだわぁ。
「授業における教師の主体性というのは、教師の意図を直接さらけ出すことではない。子どもたちの言葉を新鮮に受け止め、そこに自分を見出すことである。
子どもの言葉は曖昧である。
ぼんやりとしている。
その中に、自分の教えたいこと、大切にしたいことを新鮮な感覚で見いだし、子どもたちの問いをそこに持っていく。そういう力を教師として持ちたいと思う。」
正木(1989)『子どもの個性が生きる授業』p117
正木孝昌氏、やっぱり好きだわぁ。