1484 子どもの「制作」
学校教育にみる〈ものつくり〉は、明治時代以降の手工科教育や図画、臨画教育に始まる。
大正時代には「自由画」教育など創作 性を重視する傾向が生まれたものの、学校教育では 依然として技術習得に重点を置く授業が主流であっ た。
現在も、子どもの〈ものつくり〉が表層的な工 作や描画の真似事、または作業にとどまり、いわば 材料と時間を費やすだけの消費活動に陥ってしまう ケースは少なくない。
図画工作科の学習指導要領で用いられる言葉は「製作」だが、その本来の語義に従うなら、図画工作科における「製作」は、創造と は関わりのない作業労働に傾きやすく、材料をただ 消費するだけの活動に終わる恐れがある。
児童が心を込め、自分なりの表現を楽しんで「制作」するためには、材料や技法を選び、心や頭を自由に働かせて工夫する過程が必要である。
1483 和文化教育学会第20回全国大会オンライン九州大会
明後日24日土曜日開催です!
テーマは「地域文化の創造を重視する和文化教育」
僕は第3分科会で発表させていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【第3分科会】 司会:神永典郎(白百合女子大学) 松岡 靖(京都女子大学)
1図画工作としての地域社会における文化創造の試みー廃棄素材を用いた授業事例を手がかりにー
宗實 直樹(関西学院初等部)9:55〜10:25
2小学校社会科教科書資料をもとにした和文化教育実践の可能性
佐藤 正寿(東北学院大学文学部)10:25〜10:55
3社会科教師の子どもに関する信念の形成過程−子どもの日記に対する長岡文雄の言説の分析から−
漆畑 俊晴(兵庫教育大学連合大学院・静岡市立竜爪中学校)10:55〜11:25
4文化価値創造の視点を組み込んだ社会科授業開発-東井義雄「村を育てる教育」を手がかりにして-
末永 琢也(兵庫県三木市立広野小学校)11:25〜11:55
5道徳科の教材としての日本の神話-『古事記』をベースとして-
森 一郎(元神戸市立高等学校)11:55〜12:20
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なんと正寿さんや先日の学会でご一緒させていただいた末永さんとご一緒の分科会で、ご発表のタイトルもめちゃ魅力的です!
僕は、いつもと違う、図画工作科の視点からなので、ほんといっぱいご指摘いただきたいです(^_^;)
ぜひよろしくお願いいたします。
■参加申込はこちらから。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeNlhKVRd44Soe-ij2Wl9E4WgTNy7Zwbx_LeoFom7mC0dL4Tw/viewform
■日程は以下のとおりです。
【日時】 令和6年2月24日(土)
9:00 受 付
9:15〜 9:25 開会行事
9:30〜 9:45 開会アトラクション
9:55〜12:20 研究・実践発表
12:25〜13:25 理事会・総会
13:30〜14:30 基調講演
14:35〜16:35 シンポジウム
16:35〜16:40 閉会行事
1482 ものをつくる授業
1482 ものをつくる授業
1480 社会科授業つくり方のアレコレ教えます!
こちらは僕の大好きな先輩方と、いっしょに社会科のセミナーができる、ほんま幸せな企画です。
ハイブリッド型ですが、これはぜひ京都の会場に起こしいただくことを強くおすすめいたします^_^
僕は、セミナーとかって、話している時間だけでなく、休憩時間とか、セミナー前や終わった後とか、そういう時間の会話も含めてやっぱおもろい時間になるんだと思っっています。
ぜひぜひお越しください〜^_^
https://peatix.com/event/3802175/
1479 KETA第3回セミナー
来週25日です!
実践発表をいただく先生方の題も確定いたしました。
ぜひご参加ください^_^
申込みは以下から↓
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfs6VJ-HQwIoq83Uby07Kw3I6zFddpwLdw6G2DwN29XEcO8qA/viewform?fbclid=IwAR2ZOKi4C3WKsK6DpbjivjIZwia3IP1vIfkHhn6jbSPxlcZKzQmL8gNQwqI
1477 「この子」の学びのストーリー
子どもの様子を記録し、その子の具体的な姿や学びを追ってきました。そうすることで多くのことが見えてきました。
その子の癖。
その子の思考方法。
その子のものの見方。
その子の他者とのつながり方。
その子のこだわり。
大げさかも知れませんが、その子の生き方そのものが見えてくるという感じです。
長岡文雄(1983)は、次のように述べます。
授業は、〈この子〉のために行うものである。〈この子〉にとって必要なことを企画するのである。ただし、『必要なこと』というと、教師は、とかく、『子どもを偉くするために必要』と意気ごんで、〈この子〉に、無理なことを要求しがちである。それは、『〈この子〉にとって必要なこと』というものをとらえる力が弱いからである。その『必要なこと』というのは、『〈この子〉が、今生きている体制』によって決まるのである。『〈この子〉が何に行きづまっているか、自己を、どう破ろうとしているか』ということから、『〈この子〉の必要としている授業』『〈この子〉に教師が手伝う必要のある授業』が決まってくる。『よりよく生きる』こと、『自己変革』することを求めて、子どもも教師も、問題解決に当たるのが授業である。そこに学習法の深化はある。
長岡の言う〈この子〉の学びのストーリーを追い、多面的に〈この子〉のエピソードを語ることが、個別最適な学びの本質を捉えることにつながると感じています。