社会のタネ

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527 『コロナ後の教育へ』苅谷剛彦

 

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なかなか刺激的な本でした。日本の教育改革をかなり批判的に指摘されています。

 筆者の苅谷氏は、印象的で抽象的な不可知論から脱却して、具体的な事物をもとに帰納的に実証的に議論し、結論を導くことの大切さを一貫して強調しています。

 

例えば、 

 

すでに過去に起こった「予測できない未来」に、私たちは、どのように「主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決」しようとしてきたのか。そこで必要な資質や能力は何であったのか。それはどのように育成されたのか、されなかったのか。

 これらの問題に帰納的思考を通じてこたえることで、不可知論や循環論に陥らない政策議論ができるはずだ。

 不確実性の罠に陥らないためには、将来社会の変化自体を、分析的に捉え直す必要がある。AIの発達で、なくなる職業がある、だからこれまでにない資質や能力が求められるといった程度の曖昧な言明ではなく、不確実性という問題が提出されたときに、私たちがそれをいかに理解してきたかを顧みながら、不確実性の罠を見破っていくのだ。今回の新型コロナウィルスの感染拡大とその社会への影響といった、現在進行中の事態がいかなる不確実性をいかにもたらしたか。それに私たちはどのように「主体的」に対応してきたのか。この現在進行中の事態を念頭に置くだけでも、不確実性について、より現実的な観察とそれに基づく考察が可能になるはずだ。(p46-47)

 

 必要なのは、過去の経験の徹底した帰納的検証である。予測できない変化に対応できたと見なすことのできる「成功事例」やできなかった「失敗事例」をもとに、それぞれの局面で、担当した人々や組織が何を行ったのか、どのような判断を下したのか、それらを可能にした条件は何かを帰納的に検証することである。(p49)

 

 私たちがこれまでに経験したことのない未知の問題に直面したときに、私たちに必要な能力の一端は、事態を冷静に認識し、自分たちの置かれた状況を相対的に俯瞰しつつ、そこでとりうる選択肢やその副作用について論理的に考え、実際にとりうる行動を互いに納得できるように説明・理解し合いながら、選び取っていくことである。このような場面で必要とされるのが、学問の場の多様性と批判的な思考力である (p169)

 

 

 何でもかんでも「不確実な時代だから、、、」と言って、何がどのように不確実なのかも検証することなく言葉に踊らされ、けっこう思考停止している自分を戒められました。「これから迎える不透明で不明確な時代には主体性が必要だ」と中途半端に分かったつもりにならずに、過去の経験から「できたこと」「できなかったこと」を検証していく必要性を感じました。

 筆者は「不確実性の罠」と表現していますが、ふだんの生活の中でも不確実なことを曖昧に印象的に捉えていることって多いなぁ、と感じています。「具体性」を大切にし、検証していく習慣をもちたいものです。