以下は昨年の記事です。
そこから考えれば自分の実践も個別的、特殊的な内容が多くなった気がします。
それと一般的な事例、つまり具体と抽象を行き来することで子どもたちの認識を深めようとしています。
思考も常に「具体⇄抽象」を意識して…。
でもやっぱり「具体」の方が多いかな。
GIGAで前へ前へ進む感じが多いけど、そういうときだからこそ古典にあたって先人が積み上げてきた遺産を大切にしたいと思っています。
そこに様々なヒントが隠されていると感じています。
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2020.5.18
今、古典実践を追っている。
いわゆる戦後社会科の実践である。
なぜ今古典実践なのか。
今の考えを以下に記していきたい。
まず、社会科の歴史をきちんと知るということである。
その時代がどのような歴史的背景があり、どのような教育が行われてきたのかを知る必要がある。
農村社会科の時代のことははっきり言ってよく分かっていない。
キーワードは
「地域に根ざす」
「生産労働」
である。
築地実践や長岡実践、有田実践などが有名であるが、それよりももっと過去に遡らなければいけないと思った。
「知る」と共に、今の自分自身の実践を深化させる「ヒント」がそこにはあると感じたからである。
次に、その時代の「熱」を感じるためである。
『地域に根ざす教育と社会科』新潟県上越教師の会(1982)の中には、「地域に根ざした教育」の五つの実践的視点として、以下の五つが記されている。
①地域住民のねがいごとにこたえて、地域の教育力を回復し高める。
②小さな生活者として、地域生活に取り組む子どもを育てる。
③学校の主人公としての、主体的な活動の盛りあげを図る。
④目を輝かして、主体的に学ぶ学習指導の工夫を図る。
⑤子どもとともに伸びる教師集団を、お互いの力で作り出す。
人間的な力をいかにして育てようとしているのかがよく分かる。
実践についても本当に泥臭く密着型である。
今ではなかなかできないことではあるが、これぐらいの熱量と覚悟をもって実践することは大切だろう。
その時代の教師達の苦悩や喜びを知ることも今の我々には必要なことではないであろうか。
そして、地域という個別性と全体を表す一般性について認識を深めたいと思っている。
『地域に学ぶ社会科教育』朝倉隆太郎(1989)の中で、
「地域に見られる地方的特殊性の背後に潜む一般的共通性の発見が極めて重要なのである。つまり、地域学習は科学的裏付けを必要とする。」
と記されている。
そう、今自分が実践しているのは一般的な内容が多すぎるのではないかと思っている。
もっと個別的、特殊的な内容での実践をする必要があるのではないかと思っている。
個別的な事象に埋没してしまうのではなく、そこから普遍的一般的な法則を導き出せるようにしていきたい。
特殊の中にも潜む、経済的視点、歴史的視点、政治的視点、地理的視点等の視点をもってみていくことが重要だと感じている。
ここ数日間で読んだ書籍、参考にした書籍を以下に記しておきたい。
『村の五年生』江口武正(1956)
『村を育てる学力』東井義雄(1957)
『社会科の基本学力』香川県社会科教育研究会(1960)
『生産労働を軸にした社会科の授業過程』川合章 新潟県上越教師の会(1965)
『生産労働を軸にした社会科教育の現代化』川合章 新潟県上越教師の会(1971)
『地域根ざす学校づくり』森垣修(1979)
『生活教育の理論』川合章(1981)
『民衆の歴史を堀り起こす』山下國幸(1985)
『地域学ぶ社会科教育』朝倉隆太郎(1989)
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