社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

1041 「構造化論」に至るまで

■なすことによって学ぶ経験主義教育

 戦後社会科の実践と研究の実態は、デューイに代表される経験主義の教育を中心としていました。社会科授業を支えていた理念は、「なすことによって学ぶ」でした。「ごっこ活動」「見学・調査活動」「グループ活動」等の活動主義の教育は、戦後の新教育を盛り上げ、多くの教師の興味と関心を引きつけました。

 しかし、「活動あって学習なし」と批判される実践が多かったというのが現実でした。

 そうして、昭和20年代半ばから後期にかけて、社会科を中心とする戦後の新教育への批判が生まれていきました。矢川徳光(1950)は、『新教育への批判』の中で、社会科の実践を「はいまわる経験主義」「はいまわる社会科学習」といい切りました。「なすこと」が目的とされ、「学ぶ」ことが欠如していた学習に対する指摘でした。

 

■問題解決学習から系統学習へ

 昭和30年、33年と行った学習指導要領の改訂では、戦後社会科の整理を試みました。その特徴の一つは、系統性の強調で、子どもの発達段階に応じて内容の系統性を確保しようとしました。「問題解決学習」から「系統学習」という主張が広く使われるようになりました。

 昭和33年度(1958年)改訂学習指導要領では、内容中心主義になっていきました。子どもが主体的に学ぶ社会科から、多くの内容をつめこむ社会科授業へと変化していきました。この膨大な教育内容を整理し、必要なものを構造的に捉えさせたいという現場からの要請に応じて提示されたのが山口康助の『社会科指導内容の構造化』でした。

 

ブルーナーの『教育の過程』

 昭和40年代にかけて、社会科の内容論は「社会認識形成」が重視されるようになりました。

 ブルーナーの教育内容現代化論の日本への影響もあり、「構造化論」が登場してきました。ブルーナーの『教育の過程』が出版されたのが1960年。鈴木祥蔵、佐藤三郎によって日本語訳が出版されたのが1963年。本書の第2章は「構造の重要性」となっています。『社会科指導内容の構造化』の出版が1964年。山口康助の「社会科教育内容の構造化」の提唱は、ブルーナー的発想とは言えませんが、多くの影響を受けているのではないかと考えられます。