社会のタネ

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1461 発問の歴史を概観する④

(5)大正自由教育期の児童中心主義
◼️児童中心主義
 大正時代の日本は、教育における自由主義の精神が息づいており、子どもの自発性や個性を尊重する動きが教育界において顕著でした。この児童中心主義の流れは、子ども自身の内面や興味を学習の出発点とし、彼らの能力や可能性を最大限に引き出すことを目指していました。
 この理念をもとにして教育を行なった学校として、奈良女子高等師範学校附属小学校、千葉県師範学校附属小学校、東京女子高等師範附属小学校、成城学園、成蹊学園、明星学園、玉川学園、自由学園などがあります。

◼️子どもが「問い」をもつ
 ここでは、奈良女子高等師範学校附属小学校の木下竹次の取り組みを例に挙げます。木下は、「独自学習」と「相互学習」の組み合わせを通じて、児童が自らの学習過程を主導する方法を提唱しました。ここでの「独自学習」では、児童が自分自身で「問い」を見つけることが重視され、その結果生まれた疑問や興味が「相互学習」の段階へとつながります。
「相互学習」において、児童は自分の持つ疑問を他の児童に提示し、解決策を求めたり、自分の意見を共有し批評を受けたりします。このプロセスは、児童がより多くを知りたいという欲求や、積極的に議論に参加したいという動機を生み出し、学習への参加意欲を高めます。この教育方法では、教師からの一方的な発問よりも、児童自身から生じる「問い」に基づいて学習が進行しました。
 教師の役割は、知識の単なる伝授者から、児童が自らの問題を見つけ、解決策を探究するサポーターへと進化しました。この変化は、「問い」が児童の内面から生じる疑問に基づいた教育活動を促進する重要なツールとして、その価値を示しています。

◼️子どもの主体性の尊重
 木下のアプローチは、児童一人ひとりが自分の学習に責任を持ち、自らの疑問を深める機会を提供することに重点を置いています。この方法は、児童の自立性と自発性を育むと同時に、協調性や批判的思考力の発展にも寄与しました。大正自由教育期におけるこのような実践は、後の教育改革において重要な基盤となり、現代教育における児童中心の学習アプローチの発展に大きく貢献しています。児童一人ひとりの主体性を尊重し、その発展を促す現代の教育における発問の価値を確立し、さらに強化していきました。
 しかし、日本が軍国主義へと傾いた時代には、天皇への忠誠を教育の最優先事項とする方針が採られ、教育界は戦争の影響を強く受けるようになりました。この時代、自由教育の理念は、政府による厳しい制限や戦時下の状況の中で、その発展が阻まれることとなりました。