社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

35 『教えるということ』大村はま

 長期休業等、節目の時に必ず読み返す本が数冊あります。この本は、そのうちの一つです。

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『教えるということ』大村はま(共文社)1973

 再読する本は、だいたいその都度線を引く所が変わります。でも、この本は数年前に読んでいても線を引く所が大きく変わりません。「不易」なんだといつも思います。

 僕が線を引いている本文のいくつかを紹介します。

 背筋が伸びます。

 

◯研究している先生はその子供たちと同じ世界にいるのです。研究をせず、子どもと同じ世界にいない先生は、まず「先生」としては失格だと思います。p21

◯だれが早いか遅いか、誰の目が一行飛ばすか、こういうことを知らなくていいんですか。それをよく知らないでいて、どうやって教えるつもりなんでしょう。P31

◯私は卒業式の時、若い時は別れるのが悲しくて泣きましたが、今はこの人たちの生きていく世界が目に見えて、かわいそうで泣けてしまいます。p49

◯「この子は自分なんかの及ばない、自分を遠く乗り越えて日本の建設をする人なんだ。」ということを授業の中で見つけて、幼いことを教えながらも、そこにひらめいてくるその子の力を信頼して、子どもを大事にしていきたいと思います。p56

◯「甘やかし」と「敬意」とはたいへん違うと思います。p56

◯子どもが自分の思うように動かないとき、いちばん最初に心に浮かぶのはこのことです。私は、「どこに自分の計画のまずさがあったのかな」、「何のマイナスがあったのかな」と自分の方に目を返すということが習性のようになりました。P63

◯万策つきて、敗北の形で「静かにしなさい」という文句を言うんだということを、私はかたく胸に体しています。P63

◯自分の幸福感によってしまって、かわいさということによってしまって、それを見つめる目がないと、ここに教育者という仕事は滅びてしまうのではないか。その人は一個の「いい人」ではあっても、教師という職業人ではないということになると思います。P78

◯その「わかりましたか」と聞く時の先生としての自分の甘さというものが、子どもたちにほんとうの真剣な答えを期待していないのです。P83

◯自分の研究の成果、すぐれた指導の実力によって、子どもをほんとうにみがき上げることです。つまり、しっかり教えられなければ、頭をなでても、いっしょに遊んでやっても、それは大した値うちを持たないのだと思います。P88

◯いちばん大事なことをちゃんとやっていてでないと、先生自身の自己が壊れてしまう、と思うのです。P88