社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

552 授業記録

長岡文雄氏(1976)は、「1960年ごろから授業分析は活発になり、それがこの15年間で教育研究に果たした役割は大きい」ということを述べています。
その中で、「授業記録に魅力が欠けている」とも指摘しています。
原因を「記録における教師のつぶやきの不在」にあるとしています。
教師のはだかの声、赤裸々の姿、内心、手のうちのことです。
氏の記録では、できるだけ教師のつぶやきを記入するようにしています。
もちろん記録には限界があるので、そこに配慮しながら記入することの重要性も説いていいます。


実は、僕が所属する研究会「山の麓の会」では、ずっとこのような記録をとり続けてきました。

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「教師の思考の流れ」として、授業最中の授業者の(心の)声と授業後の声を記すようにしています。
そこには、授業中の刹那に感じたことを素直に書き記したり、子どもの見方等を書き記したりしています。
確かに赤裸々であるが故に、そこに「生」を感じます。
子どもたちと生きた授業をしている証でもあるのです。
よしも悪しも記録して、そこから検証していく上に、つぶやきのスパイスを入れていく。
授業と子どもの事実で勝負する。
生きた授業記録を続けていきたいものです。


(参考)『社会科の初志をつらぬく会の授業記録選 第2集』(1976)明治図書