社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

757 事実の勘所

子どもの学習状態を読むことに対して、齋藤喜博(1970)は、

「教育とか授業においては、『見える』ということは、ある意味では『すべてだ』といってもよいくらいである。それは、『みえる』ということは、教師としての経験と理論の蓄積された結果の力だからである。一人一人の子どもの反応を深くみつめ、それに対応することのできる教師としての基本的能力だからである。」

「教師は、明確にそのときどきの事実を見ぬく力を持っていなければならない。いちいちペーパーテストをしなくても、どのくらいの子どもが理解したのか、どのくらいまだわからないのか、などということまで、そのときどきに子どもの発言や表情で読みとることができるようになっていなければならない。ペーパーテストをすることも必要だが、いちいちペーパーテストをしなければわからないのなら、時々刻々に移り変わる子どもの思考や感情に対応しながら、そのときどきの授業を進めていくなどということはできないのである。ペーパーテストは、そういう、見ぬく力の基礎になり、また、見ぬいたものを確かめるためにあるのだと考えなければならないのである。」

と、変化する子どもの状況を瞬時に把握できなければ、臨機応変に対応できないことを指摘しています。

「見えること」「見ぬくこと」、難しいことです。

経験と理論を意図的に積み上げていきたいものです。

 

 

〈参考文献〉

齋藤喜博(1970)『教育学のすすめ』筑摩書房