社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

812 ゆさぶり発問は「観」

今村資泰(1981)は、『国語科のゆさぶり発問』の中で、

「『ゆさぶり』発問は、教師が問いを発し子どもの心をゆさぶる行為であるから、教師は、子どもたちの思考の流れだから、「ゆさぶり」発問は、人間的授業技術なのである。

 子どもたちの思考の動きに乗らないで、問いを発することは、それは「ぽもいつき」発問であって、子どもの心に残らない、教師の自己反省がむなしく残る教室実践となろう。

 そういう失敗をなくすためにも、低学年の子どもたちの表情とか、行動とか、つぶやきとかを、つぶさに観察・理解する態度が必要である。ひとりひとりの子どもを、鋭く、凝視し、観察し理解する行為は、子どもから学

ぶということである。

 このような立場から、「ゆさぶり」発問を見直せば、「ゆさぶり」発問は表面的には教師中心のように見えるが、そうではなくて、子ども主体の教育観であり、授業観であり、指導技術観なのである。」

 

と述べています。

 機械的に扱う者ではなく、「ゆさぶり」発問は、「観」の問題だということを指摘しています。