社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

813 「ゆさぶり発問」は技術だけの問題ではない

長岡文雄(1976)は、『社会科のゆさぶり発問』の中で、

「「ゆさぶり」発問は、教材に子どもをかかわらせ、その核心となるものにふれて、自己変革を遂げさせるものである。」

「「ゆさぶり」発問は、実に、子どもが、自らの力で、自らをつき動かしていく力をゆさぶらねばならないのである。学習法、生き方をゆさぶるものでなければならない。」

「「ゆさぶり」発問は、思いつきだけの単発発問では効きめがうすい。やはり、永続的で人間の根源的なものに迫る姿勢があってこそ生きるということになる。」

「学習法、生き方をゆさぶるものでなければならない。」

 

と述べています。単なる技術的なものではなく、人間の本質に迫るようなものではなければいけないということです。

 

さらに、

「「ゆさぶり」発問は、実に、子どもが、自らの力で、自らをつき動かしていく力をゆさぶらねばならないのである。」

「「ゆさぶり」発問は、むしろ、子ども同士のなかで、子どもが、「ゆさぶり」発問をしあう関係を触発していくものとしていくべきである。いつも教師は「ゆさぶる人」子どもは「ゆさぶられる人」という関係の考え方は旧いのである。子どもひとりひとりが「自問自答」して自らをゆさぶるところの方法を強力なものにし、また、おたがい同士が、論争をしかけて、ゆさぶりをかける方法を自らのものとしていくように、教師の「ゆさぶり」発問を変更していくべきである。」

 

と述べています。教師がするものだけでなく、子ども同士でするもの、さらには、自問自答できるようにしなければいけないということがわかります。

 

「ゆさぶり発問」を人間観の問題にまで追究するところが長岡らしい考え方です。

それと共に、我々が忘れてはいけない視点を再確認させてくれています。