長岡文雄(1977)は次のように述べています。
教師は職業意識が強すぎて、たえず子どもに何かを教えようとしたがる。子どもが迷惑をしていることがわかっても、「これだけは教えたことにしないと自分の責任ははたせない」と、子どもを自分につきあわせてしまうことさえある。
〈長岡文雄(1977)『子どもの力を育てる筋道』黎明書房〉
この言葉は、「個別最適な学び」を考える上でも真摯に受け止めるべき言葉だと感じています。教師は、自分が教えた方が子どもは理解しやすいという認識をもっていることが多いです。
「子どもは教えないと学ばない」、本当にそうでしょうか。
子どもの側から見てみると、それは教師の思い込みでしかないことに気がつきます。これに気づかせてくれるのは、子どもの声であり、子どもの学びの跡であり、子どもが自ら学びを進め学びに没頭している姿です。
マリア.モンテッソーリは
「子どもは元来、学びとる力を備えている」
と述べています。
そう、子どもは自分自身で学びを促進させる力を十分にもっているのです。
教師は、「子どもをどう教えるか」を考えることから、「子どもがどう学ぶか」を考えることへ発想を転換していく必要がありそうです。