「子どもたちは作文がなぜ嫌いか?」
どの時代の書を読んでも多くの確率で目にする言葉です。
書くことは創造的活動で楽しいものであるはずのに…。
書くことがたんなる「作業」、さらに言えば「苦行」になっているのではないかと感じます。
書くこと(作文)が「たいそうなもの」「仰々しいもの」という捉えが大きいのかもしれません。
「作文=長作文」という意識を拭っていくことも必要だと考えます。
藤原与一(1965)が提唱したように、日常生活のあらゆる機会と場を生かして気軽に書くことを大切にしたいです。
もっと気軽に、もっと気楽に、書くことをあたりまえに。
そして、当たり前に書くことに少しの意味づけを。
それが「+α」の視点です。
ICT端末を使えば、「書く+α」が容易にできます。
例えば、写真を入れたり、書いたものと書いたものをくっつけたり、リンクを貼り付けたり。
その「+α」にその子特有の見方や考え方、教科特有の見方や考え方をミックスしていきたいです。
書くということを気軽に、気楽に、そしてその子らしく表現できるようにするツールがICT端末。
「こうあるべき」をとっぱらって、柔軟に創造的活動が可能になります。
書くことに対する物理的なハードルはもちろん、心理的なハードルを下げるツールとして考えられます。
今、子どもが楽しんで書き、伸び伸びと表現することへの関心が強いです。
書くことは、その子の表現です。
子どもが表現するようになると、子どもを見取りやすくなります。
その子の世界に迫りやすくなります。
書くことが身近に感じられるようになると、その子の「豊かさ」がより表出されるようになります。
書くことはその子の表現であり、その子の表現は、その子の生きる喜びだと感じています。
子どもと共に「その子」の「表現」を味わい合いたいです。
〈参考文献〉
藤原与一(1965)『国語教育の技術と精神』新光閣書店