子どもの具体の姿に真実があります。
そこに、その子の学びの文脈やくらしの文脈が生まれ、その子の「物語」が生まれます。
子どもの学びの文脈を読み取り、その子のこだわりを見て、そのこだわりにつき合い、その子と共に教室でくらしていく姿こそ、本当の子ども理解につながるのではないかと考えています。
そして、その子の「物語」は他の子の「物語」にもつながります。
一人の子をさぐることを通して、その他の子の「物語」の理解も深まります。
「『具体』をみることこそ、『一般』をみること」
だということを感じさせられます。
その時、子どもを一面的にとらえようとするのではなく、教師側からの記録や、子どもの表現からの見取りなど、総合的にさぐろうとする必要があります。
また、子どもをさぐることは短時間でできるものではありません。
倉富崇人(1974)は、『個を生かす社会の授業』の中で、
子どもの考えかたをとらえようとするとき一つの仮説をもつことは必要であるが、結論を急いではならない。
と述べています。
教師が子どもの成長を願いつつ、急がずに待ち、探り続けようとする姿勢が必要だと考えます。
すべての子どもにとって「個別最適な学び」を実現するために最も重要なことは、一人一人の「個」をみとり、その子にとって何が最適かを捉えることです。
「個」をみとるとはどういうことか、「個」をみとるために何が必要か、「個」をみとるためにどうあるべきか、私たちは何度も問い直さなければいけません。
そして、その子のもつ「物語」を愛しむ気持ちをもち続けたいものです。