「全員の子どもの学習権を保障し、誰一人残らず幸せにする」という上位概念の共有さえできれば、あとは手段は人それぞれ。
「そういうやり方もあっていいよね」って柔軟に考えられるようになって、色々と試行錯誤するのがおもろくなりますね。
今までの「当たり前」を前提に凝り固まってしまった「観」をほぐせるか、豊かにできるかってところがやっぱりミソだと考えます。
僕はそれをしようとより意識するになってきてからやっぱり楽しくなってきました。
一斉授業にするべきとか、個別学習にするべきとか、こうあるべきとか…「べき論」からは創造的なものは生まれません。
状況や子どもの実態によりますから。
だから、教師は色々とやって経験した方がいい。
子どもの学習が複線化すると同じように、教師の指導や支援の方法も複線化すればいいだけのこと。
上位概念が共有されていれば、方法は一斉授業、個別学習、子どもがする授業等、何でもよいのだけど、条件が三つ。
・やっていることの質が高いこと(上質であること)
・目の前の子どもに合っていること(見取りをすること)
・自分に合っていること(おもろがれること)
その中でその子がその子「らしい」学びができるようにすることが重要だと考えます。