社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

1442 かぼちゃの顔

 東井義雄は人との出会いを大切にしていました。その中でも臼田弘蔵との出会い[1]は東井にとって大きかったことがわかります。東井義雄(1986)[2]は、当時の学校長である臼田とのエピソードを記しています。ここでは、その中から1つだけ紹介します。次のようなエピソードです。

 ある日、村の方が学校にどなりこんできました。理由は、畑で育てているかぼちゃに子どもたちが目を描いたり鼻を描いたり、いたずらをしていたからです。東井は、「そういういたずらをする子はあの子くらいしかない」と見当をつけ、本人に尋ねました。予想は的中していたので、その子を職員室に呼びつけ懇々と説教したそうです。
 その様子を見ていた臼田校長は、子どもが職員室を出てから次のような言葉を東井にかけました。

「東井先生、子どもは、かぼちゃが生きとること、知っとったんやな。
かぼちゃに目を描く、鼻を描く。かぼちゃが大きくなるにつれて、かぼちゃが目をむいたり、鼻をむいたりする。子どもは、かぼちゃが生きとること、知っとんやな」
 
さらに、次のように続きます。

「東井先生、来年は、運動場のまわりの土手に、いっぱいかぼちゃをつくろう。そして、存分に、目を描いたり鼻を描いたりさせてやろうや。そのかわり、よそのかぼちゃには絶対するでないぞといいつけてな…」
 
 すっかり感激した様子で話す臼田校長の表情を見て、東井は「こちらが感動した」と述べています。
 当時、自分の立身出世を願い、ひたすら厳しい人生を歩もうとしていた東井自身の教師としてのあり方を柔和にしてくれたのかもしれません。そもそも子どもとはどういうものなのか、子どもの行動の根底にあるものは何なのか、そこまでを考えた臼田校長の言葉だからこそ東井は考えさせられたのでしょう。
 また、東井のような感受性もなければこの言葉かけは成り立ちません。おそらく臼田校長は、東井だからこそそのような言葉を投げかけたのでしょう。相手の状況や文脈を見取り、相手への期待と敬意をこめた言葉がけだと考えられます。




[1] 東井は「臼田校長のこと−私の胸をうった教師−」と題した論文を『総合教育技術』誌に掲載してる。
[2] 東井義雄(1986)『子どもを見る目・活かす知恵』明治図書,pp. 19-21.