社会のタネ

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1321 「東井義雄」という人がまいた種

 2022年5月2日(月)、はじめて豊岡市但東町にある「東井義雄記念館」へ訪れた。東井義雄についてある程度知っていたつもりだったが、まだまだ何もわかってないことを痛感した。『村を育てる学力』が1953年発刊の理由、『土生(はぶ)が丘』の存在とその影響、『培其根』の原本から見えるリアルなど、その場にいかなければわかならい、東井の生き方と仕事の片鱗を垣間見た。

 学べば学ぶほど東井の「まなざし」はあたたかく、きびしいことがわかる。東井から学ぶことは無尽蔵にある。何度訪れても尽きることがない。

 

 今回2023年8月11日は仲間たちとツアーにでた。大学時代の友人、久後さん(九ちゃん)が企画してくれ、合計7名による学びの旅。

 まずは東井義雄記念館。東井義雄の校長時代に八鹿小学校に勤務されていた米田啓祐さんにお越しいただき、貴重なお話を聴かせていただく。

 最初は東井義雄に反抗的な面もあった米田氏。日が経つにつれて東井に感化されていった米田氏。

 米田氏の週録をみせていただいたが、米田氏の週の感想に対する東井の言葉がびっしりと書かれている。まるで2人の往復書簡。東井はそれを20名近くの教員一人ひとりに同じようにされていたのだから、その時間と労力は計り知れない。東井の人を見る眼の豊かさに驚かされる。

 週録に書かれている米田氏の内容も、年が経つにつれ変化していた。東井に感化されていることはその書面をみているだけでもよくわかる。その中には「生活の論理」や「教科の論理」等難しい内容も書かれていたが、ほとんどは東井によるその人へのダイレクトなメッセージ。ここで内容を見せることはできないが、そこには一人ひとりへの愛に溢れている。東井は職員を仲間として、学級・学校の子どもたちを我が子のように心で見ていた。

 米田氏が話されている時の間、謙虚な姿勢、語られるエピソードの端々から、氏の自分自身に対するきびしさや人に対する温かさが滲み出ていた。またとない貴重な時間を共に過ごさせていただいた。

 東井の著書『喜びの種をまこう』(1990)の中で、東井は米田氏のことを紹介している。題名は、「米田啓祐先生の『目』」。子どもに対する「まなざし」が確かな者に対する東井の「まなざし」もまたあたたかい。そんな東井のことを米田氏は「生涯の師」としていた。

 

 その後、東井義雄生家である東光寺を訪れる。

 東井義雄の義娘(ご長男の奥様)である東井浴子さんにお会いする。気さくで明るい方で、気持ちよく迎えてくださった。家庭人としての東井の姿、東井のご友人、関わってきた多くの方々のことなど、多くのエピソードを聴かせていただいた。東井の蔵書はほぼ記念館に納められているが、ここにも多くの書籍が残っていた。それも一つひとつじっくり見せていただいた。東井が何を見て、何を感じ、何を考えていたのか、少しでも紐解けるように。

 そして、東井と卒業する子どもたちとの交換日記を見せていただいた。教員との週録だけでなく、そこには子どもとのあたたかいやりとりも行われていた。子どもが書いている以上の内容量を東井は記している。それも上から目線ではなく、子どもと同じ目線にたって、優しく、温かく、包み込むように。私は大学時代の恩師と接することで「本当にあたまがよく、心のある人は、自分のもっているものをひけらかさずに、相手(の立場や状況)に合わせて『降りてきて』話し、関わろうとする人」だと学んだ。東井は正にそれを体現する人であったし、『降りてきて』子どもに誠実に語っていた。丁寧に、丁寧に…。

 東井は家の中でも常に書いていたらしい。今のようにメール等がない時代。全国からくる多くの手紙に対して一つずつ丁寧に、心を込めて、書き続けていたようだ。そんな東井と共にすごしていた浴子もまた柔和であたたかい。「生きること」を学べる方だった。また必ず訪れたいと思う。

 結局はやはり人。その人から何を感じるのか、何を学ぼうとするのか、そんなことを感じさせられたツアーだった。ただ、簡単に「人から学ぶ」と言うのではなく、その人が辿ってきた軌跡、そこに関わる人々の想い、その生き様、それを見られるかどうかを自問自答したい。ベクトルを自分自身に向けて問い続けることだ。痛感させられる。

このことはまたどこかの学習会で話したいと思う。

 

 先日、豊岡市日高町にある学校の校内研修にお伺いした時の校長の話の中や学校通信の中にも東井の言葉や考え方が引用されていた。当校の職員のお子様が通う小学校でも然りだという。東井の思いや願いは確実にその地に根を張り、受け継がれている。私も同じ兵庫県民としてしっかり受け継いでいきたいと強く思う。

 

 東井のまいた種は、確実に人の心に豊かな花を咲かせている。