社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

54 たかがゲーム されどゲーム

 ゲームのグループづくりの時にグループに入れずに困っているAさん。まわりをキョロキョロしていますがどこかのグループに自分から入ることもできません。

よくある光景です。

こんな時はやっぱり教師の出番…。

いえ、ちょっと待ってください。

こんな時こそ子ども達の問題解決の力をつける時です。

あるべき姿を子どもたち自らつかみとる時です。

 

 例えば30人クラスで考えましょう。

3人や5人6人グループは「あまり」が出ません。

『今からゲームをします。まず手をたたいた人数のグループになってください』

と指示を出します。

まずは5人か6人のあまりがでない数です。

そのときのグループの組み方をよくみておきます。

学級はじめの5年生のこの時期は完全に特徴がでます。

「前クラスの子同士」「男女別」「仲よし同士」、まだ不安がある中、こうなるのは当然です。

しかし、そうでないグループもでてきます。

前クラス、男女等関係なく組んでいるグループです。しっかり価値づけます。

 次は4人であまりが出る数です。

グループに入れない子がでてきます。

待ちます。

自分のグループができた時に、周りの様子をみている子や、声をかる子がいます。

その子を見つけておもいっきり褒め、価値づけます。

もしそれでもなければ教師が促してもいいでしょう。

すると次はそういう子が断然増えてきます。

安全地帯にいる子がいかに周りで困っている子にはたらきかけることができるかということです。

 

 このような場面を学級はじめに意図的に仕組むのです。

「みんな仲良く」「男女仲良く」「協力する」、言葉で言ってもあまりイメージできません。

だから敢えて不十分な状況をつくり、活動を通して実感させていくのです。

ゲームを通してどんな学級にしたいのかを伝えていくのです。

 

 たかがゲーム。されどゲーム。

 

最初に教師が声をかけて活動させるのではなく、まず子どもたちに活動させて気づきを広める。

そうすることであることの問題を意識化させて、望ましい状態に自分たちでしていくのです。

そのことを学級はじめだからこそ実感させるのです。

 

 教師はしっかりみて、よさを広げる「眼」をもつことです。

学級はじめに教師がもつべき「眼」はそういうことです。

実際に人のために行動している子どもたちをみると幸せな気持ちになります。

素直に「あなたたちの担任になれて私は幸せです」と伝えることができます。

幸福感あふれる学級はじめの時間にしたいものです。