社会的事象の因果関係や意味、特色を見出し、科学的な見方・考え方を育てるにはには「なぜ?」を問うことが必要です。
森分氏や岩田氏はその重要性を説いています。
しかし、「なぜ?」に答えるのは難しい。
例えば以下のような場面。
「7月から10月の間になぜ多くのキャベツが群馬県から出荷されてくるのだろう?」
という問い。
みなさんなら何と答えられますか?
こちらはどうでしょうか。
「なぜ〇〇にダムをつくるのか?」
何と答えられますでしょうか。
「水不足が続いているから」と答える人は、その背景に着目しています。
「これからの備えのため」と答える人は、ダムをつくる意図に着目しています。
「水が流れやすい土地だから」と答える人は、地理的条件に着目しています。
様々です。
つまり、前後の文脈がなければ答えにくく、思考が拡散するのです。
有田氏は、
「子どもが答えるのに難しくなり、発言が参考書的なものに閉じていく。」
と言われています。
白鳥氏は、
「高度な一定の知識がなければわからない。活躍する子が限られてくる。」
と述べられています。
藤岡氏は、
「どういう類型の答え方をしたらよいかが明示されていない多義的な問いだ」
と指摘されています。
「なぜ型」の発問は、何に対して答えてよいのか(対象)、どう答えてよいのか(方法)、が曖昧になりやすい。
また、多義的で、本質(教育内容)を問うことになってしまうので、一部の勘のいい子どもが活躍する授業になってしまう。
など、「なぜ疑問」に対する指摘は多くされてきました。
ただ、「なぜ?」がだめだと言っているのではなく、直接的に「なぜ?」と問うことがだめだと言っているのではないかと思います。
「なぜ?」が内在する問い方をしていくことや、事実を追究していくうちに自然と「なぜ?」に答えられるような形になっていることが大切なのではないかと感じます。
【参考文献】
柴田義松, 臼井嘉一, 藤岡信勝編(1994): 社会科授業づくりの展開 (シリーズ授業づくりの理論) .日本書籍