社会のタネ

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638 1人1台端末の功罪の「罪」

端末を活用することで授業が豊かになることは間違いありません。

子どもたちも自分のペースで学習を進めやすくなり、容易に調べることもできるようになります。

しかし、気をつけなければいけないこともあります。

それは、個別化に走りすぎないようにすることです。

 

 昨年度の授業では、多くの子がすべて端末上でノートを構成していました。

 インターネットや教科書で調べたことを書き、画像を取り込み、様々な情報を一つのノートに整理してまとめています。

文字テキストと画像テキストが融合された見栄えのいいノートができあがります。

授業の中で、書く、画像を検索する、画像を取り込む、構成する、という活動が行われています。

そういう授業になるとどうなるのか。

子どもたちは人の話を聴かなくなります。

あまりにも多くの学習活動が同時に行われ、端末の操作に精一杯になっているからです。

結果、検索や処理能力等の速い子のみが発言するようになり、子どもたちの関わり合いが減ります。

これでは、何のために学校に来ているのかわからなくなります。

 

個別化された学びを進めることは重要です。

しかし、協同に支えられた個別化でなければ、関わり合いが減り、ただ孤立してしまう子が出てきます。

1人1台端末が導入されて半年間、端末を使い倒した上で気づいた私の大きな反省でした。

 

1人1台端末が導入された今だからこそ、協同で学ぶことの意味を問い直さなければいけません。

集団の中で関わり合いが生じる端末活用を意識し、「やっぱり学校で学ぶことは意味があることだ」ということを子どもに感じさせる必要があります。

教師がどうありたいかを考え、子どもたちと共有することが重要です。

ただ使用することが目的化しないように気をつけ、「冷たい端末活用」にならないように血の通った実践が求められます。

 

 そのためには、端末をどのようにして効果的に使うのかという方法論だけでなく、端末が導入されることで教師自身の授業の捉え方や「あり方」をどのように変化させるのかを考えることが重要です。

今までの「当たり前」を疑い、自分の「あり方」をアップデートさせていく必要があるでしょう。

今回のギガスクール構想で変わらなければいけないのは、方法というよりはむしろ、教師の「考え方」や「あり方」ではないでしょうか。