社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

872 一斉授業がすべてではない

教師が一斉授業することで達成できるものはもちろんあります。

しかし逆に、教師が一斉授業ばかりで進めるからこそ失われているものもあります。

例えば、

 教師の問いを考えているうちに子どもの中にある「問い」は消えてしまうのではないか。教師の与える「問い」が本当によいのか考えさせられます。

 子どもが書きたいと思う内容とタイミングを自己決定する機会を失ってしまうのではないか。ふり返りを書かせる教師のタイミングは本当によいのか考えさせられます。

 子どもが考えたいことに対する本当に必要な資料を選ぶ機会を失ってしまうのではないか。教師の指示や説明は本当に子どもが思考するための土台となっているのか考えさせられます。

以上のようなことを考え直す必要もあります。

 

逆に、個別最適な学びの考え方や実践が広まるにつれ、「一斉授業が悪」といった雰囲気にもなりかねません。

一斉授業というより、何の工夫もない一斉画一授業が問題だということです。

 一斉授業がいいのか、個別学習がいいのか、それは教科、単元、1時間の学習内容によります。また、その時間に何をねらっているのかにも大きく影響されます。

 一斉授業を止めるべきだということではありません。

一斉授業のみを中心に進めてきた学校教育のあり方を問い直し、一斉授業、個別学習、それぞれのよさを捉え直すことが必要です。

そして、それらをもとに、授業デザイン、学習デザインを組み立て直す必要があるということです。

 今まで当然のように行ってきたことを一度捉え直し、また新しく組み立てていく必要があります。

自身の方法を一度壊し、立て直すことは容易ではありません。

しかし、今こそその勇気をもちたいものです。