「社会科は暗記教科だ」「活動あって学びなし」と揶揄される言葉を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
なぜそのようになってしまうのかは「指導言」について考えると理解できます。
授業中に教師が発する指導のための言葉を「指導言」といいます。
大西忠治氏(1988)は、上図のように指導言を「発問」「説明」「指示」の3つに大きく分けました。
「発問」は子どもたちの思考に働きかけ、「指示」は、子どもたちの行動に働きかけます。
「説明」は、思考と行動のどちらにも働きかけることがあり、「発問」と「指示」のもとになるものと考えられます。
この3つの指導言がなくては授業が成り立ちません。
そして、この3つの指導言をバランスよく使用することで授業が機能していきます。
「社会科授業は暗記教科だ」と言われてきました。
それは、授業中の教師の指導言が「説明」ばかりになっていたからではないでしょうか。
教材研究等で得た知識等をすべて教え込んでしまおうとするパターンです。
また、「活動あって学びなし」の社会科は、「指示」が多かったからではないでしょうか。
「調べてポスターに書く」
「模造紙にまとめる」
このような活動ばかりになっているパターンです。
「発問」することによって子どもの思考に働きかけますが、「発問」ばかりだと、子どもは何を考えたらいいのかわかりにくくなります。
「発問」に「発問」を重ねて授業が混乱してしまうパターンです。
今一度、自分の指導言のバランスを考えることが大切です。
例えば、
「2016年のリオデジャネイロオリンピックのメダルは使われなくなった車や鏡などをリサイクルして作られています。ただし全てではありません。30%リサイクルで、残りの70%は金を使っています。2012年のロンドンオリンピックのリサイクル率は0%でした。さて、次の2020年の東京オリンピックメダルのリサイクル率はどれくらいだと思いますか。ノートに数字が書けたら手を挙げてください。」
以上のような教師による指導言があるとします。
これらの指導言の中のどの部分が「発問」「説明」「指示」なのでしょうか。
考えてみてください。
「2016年のリオデジャネイロオリンピックのメダルは使われなくなった車や鏡などをリサイクルして作られています。ただし全てではありません。30%リサイクルで、残りの70%は金を使っています。2012年のロンドンオリンピックのリサイクル率は0%でした」
が説明です。
「次の2020年の東京オリンピックメダルのリサイクル率はどれくらいだと思いますか」
が発問です。
「ノートに数字が書けたら手を挙げてください」
が指示になります。
「説明」がなくても「発問」はできます。
しかし、前提がないので子どもたちは予想することが難しくなります。
「説明」が前提をつくりだします。
また、最後の「指示」がなくても授業は成り立ちます。
しかし、指示をすることで、子どもの行動の迷いもなくなります。
「発問」と「指示」をセットにすることで、考えることと行動することが明確になるのです。
細かいことですが、日々の授業で少し意識するだけでも子どもの思考や動きが変わります。
一度、1時間の授業を録音するかビデオに撮るかで聴いたり観たりしてみてください。
その際、指導言のみに着目してみてください。
自分の指導言の何が多いのか、どのようなくせがあるのかがよくわかります。
私は、授業を文字起こししたときに、
「発問」=赤色
「説明」=青色
「指示」=緑色
にわけて線を引いたこともあります。
真っ青になっていることもありましたが…。
〈参考文献〉
『社会科のつまずき指導術』宗實直樹(2021)明治図書