「座右の銘」とは「常に自分を高めようと心がける人が、折に触れて思い出し、自分のはげまし・戒めとする言葉」(新明解国語辞典題5版)と記されている。
自分自身の「座右の銘」とは何なのかを考える。
多くの言葉に出合ってきた。
「いいな」と思える言葉はたくさんあった。
「自分を励まし・戒めとする言葉」とは…。
「日々是好日」
「而今」
「一歩」
「互恵」
「一芸は万芸に通ず」
いくつかは挙げられる。
確かに自分を常に励まし、奮い立たせる言葉であると感じる。
例えば、「日々是好日」「而今」「一歩」は同じカテゴリーとして考えている。
「今を一生懸命活きる」ということである。
そして、一歩一歩を大切に、地道に毎日を積み重ねていくということである。
そんな当たり前の日々に感謝できるということである。
「互恵」は互いに恩恵を与え合うということ。
つまり、お互いがお互いを大切に思い、敬意をもって接することの大切さを感じさせられる言葉である。
決して甘え合ったりするという意味ではない。
人に対する敬意があれば、相手を憎むことなどない。
敬意があるからこそ人に対しても真剣になる。
人と接する時、この気持を忘れないでいたい。
「一芸は万芸に通ず」は、かの宮本武藏が言った言葉である。
私が中学生時代に美術教師からいただいた言葉である。
20年以上前にいただいた言葉であるがずっと心に残っている。
「一つの芸や道を究(きわ)めてゆけば、他の事にも通じるものである」という意。
逆に言えば「多芸は無芸」。
この言葉に出合ったはじめは「ひとつのことをやり続ければいい」という程度でしか解釈できていなかった。
そうではなく、一つのことに軸足を置き、まずは愚直に一つを突き詰めること。
それが他にも広がりをみせ、その習得にもつなげることができるということである。
このことは、自分自身が社会科研究に没頭していく中でより感じることができた。
もちろんまだ何も見えてはいない身である。
しかし、1つを愚直に突き詰めようとする中で、他のこともおもしろがれるようになってきている。
一つを深め、そしてそこから広めていきたい。
『リーチ先生』(原田マハ)の中に
「和して同ぜず」
という言葉が出てくる。
『白樺』の同人である武者小路実篤が、常日頃語っていた言葉だという。
いい言葉だと思う。
我々の住む社会は必ず集団として成り立つ。
その集団は、個々人それぞれが違った色をもち、けれど調和がとれている、という状態が望ましい。
そういう集団のほうが確実におもしろいものが生み出される。
自分自身が集団に所属するときに常にもっておこうと思える言葉である。
言葉との出合いはふとした所で現れる。
それは人との出会いであったり、本との出会いであったり…。
出合っても何となく過ぎていってしまう言葉は多い。
自分の心に留まっている言葉は多くはない。
だからこそ残っている言葉を大切にしたい。
それが、間違いなく自分自身を支えている言葉、「座右の銘」である。