「よい」学級とは?と訊かれると、何と答えるでしょうか。
「よい」という中に様々な要素があるので難しく、簡単には答えられません。
そこでまず逆に、だめな学級から考えてみました。
だめな学級には「〜するべき」があふれている気がします。
そこでは、子どもたちはある一定の空間(教室)で、教師のよしとするものさしを規準に考え、行動します。
「どうすればいいのか」がすべてになってしまっています。
そのような空間では真実や新しいものが創出したりすることはありません。
あるルールやマナーの中でその中でのベストを求めるだけになってしまいます。
このように考えると、大切なのは「なぜ?」という問いが生まれることでしょう。
子どもたちが真実性を求めて問い続けることができる教室にしなければなりません。
真理を求め、そこから新たな「問い」を生み出し、探究していこうとする学級にすることが大切です。
「なぜ?」の問いが自然に出せる学級は受容的な空気に包まれています。
受容的な空気が、人と人との関係をゆるやかに伸びやかにします。
よりよい人間関係を築くことができるようになります。
「学ぶ」ということは単に知識を詰め込むだけであることを教えると、子どもたちは「何のために勉強するの?」とずっと思うようになります。
大切なことは、子どもたちが文化的実践に参加できるということです。
生きている世界が素晴らしい、人間がすばらしいと感じられる子どもたちにしたいものです。
「世界」や「人間」となると哲学的になるかもしれませんが、その域に達するために「問い」のあふれる教室にしたいものです。