社会のタネ

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1953 児童を中心とした教授法

東京高師附属小学校の加藤末吉は、「児童を中心とした教授法」の確立を目指そうとしました。『教壇上の教師』『教室内の児童』(いずれも1908)に授業を教授と学習の緊張関係としてとらえる典型例が示されています。 徹底的に教えることが徹底的に学ぶことを喚起するという考えや教師の教えたいものを子どもの学びたいものに変えていく必要があるという考えです。それは、次の箇所からも感じられます。
 「よい教授とは如何なるものかといふに、吾人の信ずる處によれば、先づ児童の性情を考へ、児童の興味の向ふ所を察して、如何なる事が易く、如何なる事が難しきかを窺ひ、児童の自然の傾向に順応して、適当の方法を講ずるのである、しかして、これが適当なる方法とは、児童をして、其問に、自ら工夫せしめ、自ら助けて、自発的に独立自頼的に、着々前進せしむる方案を指すのである。かくて、自ら進み得ざる時には、十分の工夫をなさしめて後ち、僅少の暗示と、保護とを有効に与へ、児童をして、成程と強く感ぜしめ、しかも、そが活動は、自力の工夫になり、自立して難局に処置し得たりと感ぜしむるものでありたい。」(p207)
これを読むなり、篠原助市の「受動的発動」が喚起されました。「与えると共に創造させ、伝達と共に獲得させる」という教授観です。ただ与えるだけではなく、与えると同時に子どもから動き出すエネルギーになるようなものでなければいけないという認識です。
芦田恵之助(1916)も『読み方教授』の中で次のように述べます。
「教授方法の研究は、結局、児童の学習態度の確立に帰し、発動的に学習する態度が定まれば、教授の能事はここに終われるものといってよい。ここに到達する方法としては、勿論教授材料も必要である。教授方法も工夫しなければならぬ。しかし、そのいずれよりも、教師の態度が発動的でなければならぬ。」
「教授」という言葉はあまり好きではないですが、子どもが発動的になるための教師のあり方や考え方におけるヒントは、すでに明治大正時代から与えられているようです。
写真は書籍に挟まれていたものです(^_^;)
 
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