最近必ずいただく質問の一つに
「子どもが自分達で追究する学習形態で、到達させたい目標に子ども達がたどりつくのか」というものがある。
「到達させたい目標」とは、おそらく社会科で言えば概念的知識やより抽象度の高い知識のことと考えられる。
「知識」の捉えは様々な考えがあるので一概に論じることはできない。
ただ、「知識」の統一は、直接的に獲得される(自分で働きかけていく)ものと、間接的に獲得される(他人によって伝えられる)ものとのバランスで成り立っている。
もちろん直接的に獲得される方が本質的であり持続的なものになるだろう。
しかし、間接的な方法で得られる知識はより広範囲に確実に得られることもある。
また、間接的な方法から直接的な獲得へのきっかけをより多く得られることもある。
やはり、篠原助市の「受動的発動」論や広岡亮蔵の「発見学習」に見られる「かの如く」の方法がポイントになる。
「与えると共に創造させ、伝達と共に獲得させる」という教授観を持つことが重要だと考える。
一斉授業での間接的な方法の特徴を踏まえて、個別学習で獲得される知識をより広くより深くよりカラフルにしていく工夫が必要なのではないだろうか。
子どもが発動的になるかどうかのヒントは、すでに大正時代から与えられている。
「教授方法の研究は、結局、児童の学習態度の確立に帰し、発動的に学習する態度が定まれば、教授の能事はここに終われるものといってよい。ここに到達する方法としては、勿論教授材料も必要である。教授方法も工夫しなければならぬ。しかし、そのいずれよりも、教師の態度が発動的でなければならぬ。」芦田恵之助(1916)『読み方教授』