柳田國男の談話という形で成城教育研究所から発刊された『社会科の新構想』(1947)。その最後の柳田の言葉は次の通りです。
「私の要求が性急に聞こえるのは、全く年をとっているからです。世の中がほんとうに明るくなるまではまてないから、今のうちに確信をもってやってもらいたいということを強く言うのです。」
柳田の学問論や教育論の目的がここに表されています。「世の中を明るくしたい」ということ。なんと明確でシンプルな言葉なのでしょう。
今の世の中も正にその通りです。
この後、『社会科単元と内容』(1951)成城学園初等学校刊.という具体版が著されました。理論的著作として『社会科教育法』(1953)実業之日本社.が発刊され、『日本の社会』(1954)実業之日本社.という小学校の教科書とその手引き書が発刊されました。共に、柳田の弟子と小学校の現場人との協力によってできあがったものです。
子どもの背丈にあった社会科、「柳田社会科」の誕生です。