社会のタネ

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1103 日本初の社会科授業

・昭和22年(1947年)1月16日
・港区立桜田国民学校
・2年生教室「郵便ごっこ
・授業者 日下部しげ(当時49歳)
戦後、日本ではじめて行われた社会科授業です。この授業は、重松鷹泰らが書いた社会科最初の学習指導要領『社会科編(Ⅰ)』(以下、「指導要領」)をもとに行われた実験的な授業でした。
当時、重松らは神奈川県足柄上郡のお寺にこもり、福沢村の小学校の子どもたちをもとにしながら「指導要領」を書きました。「指導要領」と共にでできたのが日本で最初の社会科教科書「私たちの村」「私たちの町」※(1) でした。その案を実施する場所として選ばれたのが、新橋駅前・鳥森通りに面した港区立桜田国民学校。文部省から社会科授業を試してくれとお願いされ尻込みする教員の中、「私ならできそうです」と手を挙げたのが日下部しげでした。日下部は1946年10月に桜田国民学校に着任してきたばかりでしたが、授業者として立候補する理由として前任校の経験があります。
日下部が「郵便ごっこ」の授業を計画する際に参考にしたのが、前任校の横川小学校で実践したことのある「未分化教育※(2) 」でした。そこから社会科というものをイメージし、「郵便ごっこ」の授業を具体化しました。
授業当日は朝の9時からはじまり、2時間たっても子どもは飽きないどころか、ますます熱心にとけ込んでいきました。その姿を見て、重松は「これはおもしろい。これなら社会科が実施できる」と言ったそうです。新教育に対して文部省がはじめて自信らしきものをもった瞬間でした。

〈参考文献〉
読売新聞社編(1955)『日本の新学期』
読売新聞社編(1982)『教育のあゆみ―昭和戦後史』

※(1) 日下部が行った授業「郵便ごっこ」はこの単元の一つだった。
※(2) 生活体験を重視した合科教育が効果的という考え方。「生活科」の源流と言える。