社会のタネ

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1424 はじめての社会科授業

社会科教科書案にもとづいた授業が昭和22年(1947年)1月16日、新橋駅前・鳥森通りに面した港区立桜田国民学校で行われました。授業者は日下部しげ(当時49歳)、2年生教室にて「郵便ごっこ[i]」という授業でした。

重松ら文部省から社会科授業を試してほしいと依頼され尻込みする教員の中、「私ならできそうです」と手を挙げたのが日下部でした。日下部は1946年10月に桜田国民学校に着任してきたばかりでしたが、授業者として立候補する理由として前任校の経験があります。

日下部が「郵便ごっこ」の授業を計画する際に参考にしたのが、前任校の横川小学校で実践したことのある「未分化教育[ii]」でした。そこから社会科というものをイメージし、「郵便ごっこ」の授業を具体化しました。

授業当日[iii]は朝の9時からはじまり、2時間たっても子どもは飽きないどころか、ますます熱心にとけ込んでいきました。その姿を見て、重松は「これはおもしろい。これなら社会科が実施できる」と言ったそうです。新教育に対して重松らがはじめて自信らしきものをもった瞬間でした。

 

 

[i] 日下部が行った授業「郵便ごっこ」は、重松らがつくった社会科教科書「私たちの村」「私たちの町」の単元の一つだった。

[ii] 生活体験を重視した合科教育が効果的という考え方。「生活科」の源流と言える。

[iii] 読売新聞社編(1955)『日本の新学期』の中にある「社会科、新橋から出発」(pp.69-73)に詳しい。