社会のタネ

社会科を中心に、アートや旅の話などもあれこれと。

648 単元を俯瞰する

社会科では特に単元を俯瞰してみることを重要視しています。
単元の中での学びの過程と単元全体で獲得する概念的知識を明示化したいからです。
それを子どもたち自身が自覚的に明確に捉えるようになってほしいからです。
具体的にはロイロノートを使って「単元表」の実践を行っています。

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その実践を理論づけてくれるのがこの書籍です。

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読めば読むほどより意図的な実践のアイデアがわいてきます。
 
また、本書の終章には、東井義雄、大村はま、上田薫の実践の整理もされています。
「記録」を元に地道に事実を積み上げていくことを大切にしている本校の研究にも深みが出せそうです。
「関わり合いの質の高まり」をよりよく見える化できそうです。

647 安心と信頼の違い

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伊藤亜紗氏(2021)は、『「利他」とは何か』の中で、山岸俊男氏(1999)の言葉

信頼は、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の(自分に対する感情までも含めた意味での)人間性ゆえに、相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えることです。これに対して安心は、そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと感じることを意味します。

を引用しています。

 

その引用を元に、

「安心は、相手が想定外の行動をとる可能性を意識していない状態です。要するに、相手の行動が自分のコントロール下に置かれていると感じている。

 それに対して、信頼とは、相手が想定外の行動をとるかもしれないこと、それによって自分が不利益を被るかもしれないことを前提としています。つまり「社会的不確実性」が存在する。にもかかわらず、それでもなお、相手はひどい行動をとらないだろうと信じること。これが信頼です。

 つまり信頼するとき、人は相手の自律性を尊重し、支配するのではなくゆだねているのです。これがないと、ついつい自分の価値観を押しつけてしまい、結果的に相手のためにならない、というすれ違いが起こる。相手の力を信じることは、利他にとって絶対的に必要なことです。」

 

と説明しています。

 

相手の行動を自分のコントロール下において、自分が安心するために行っている行動は、学校現場でもよくある場面だと考えられます。

例えば、宿題や給食。

全員提出、完全完食が目的化してしまい、手段と目的が逆転しているために何を大切にしたいのか不明確になっている状態です。

そこでよく発せられる「だれのために言っているのかわかっているか」「あなたが大人になって困らないため」というようなセリフ。

圧力で押さえ、相手の自立を奪っていることも知らずに、自分は善意だと思ってやっている本当にやっかいな状態です。

1人ひとり子どもに対する適切な働きかけをした上で、子どもの自律性を尊重し、ゆだねて待つことを大切にしていきたいです。

 

〈参考文献〉

山岸俊男(1999)『安心社会から信頼社会へ』中公新書

伊藤亜紗編著(2021)『「利他」とは何か』集英社新書

646 「利他」とは何か

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新型コロナウィルスの感染拡大によって世界が直面するなか、「利他」という言葉が注目を集めています。


 ビジネスの現場等、実際に人々のあいだにも利他的な意識や行動が広まっています。


 「利他」とは何なのか?
 「利他」はなぜ重要なのか?


 利他ということがもつ可能性だけでなく、負の側面や危うさも含めて述べられている書です。

 

 また、本書のおもしろさの一つが、利他について分野も背景も異なる5名の研究者が、それぞれの視点で論じている所です。

 

 第1章では、美学者である伊藤亜紗氏が共感や数値化に潜む危うさと、「余白」をもつことに利他の可能性について論じています。


 第2章では、政治学者である中島岳志氏が「贈与」や「他力」といった利他の根幹に関わる問題について、文学作品等を手がかりに論じています。


 第3章では、批評家、随筆家である若松英輔氏が、「民藝」の美を通して利他について論じています。


 第4章では、哲学者である國分功一郎氏が、中動態の枠組みから、近代的な責任概念の捉え直しを論じています。


 第5章では、小説家である磯﨑憲一郎氏が、小説の実作者の立場から、「つくる」行為の歴史性について論じています。


 5名それぞれが述べている内容は違いますが、同じキーワードや観点を共有しています。

読む人によって心に響く章が違うと思います。


 はっと気づかされることも多く、日常の中に潜む利他的な関係のおもしろさや難しさ、奥深さを捉え直すきっかけとなる一冊です。

645 田中一村展

これはぜひ行きたいものです。

関西で一村ワールドが堪能できるまたとない機会。

お近くの方、超オススメです。

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展覧会概要

 
 

明治41(1908)年、木彫家の父のもとに生まれた田中一村(本名・たかし)は、幼少期より画才を発揮し、7歳の時に父から「米邨べいそん」の号を与えられました。大正15(1926)年には東京美術学校に入学するも、わずか2カ月で退学。退学後数年は南画家として活動しますが23歳の時に南画と決別し、30歳で移住した千葉で20年間風景や動植物の写生に明け暮れます。その間、美術団体・青龍社に出品し入選。39歳で念願の画壇デビューを果たし「米邨」から「一村」へと改名しました。しかし、その後も日展院展に挑戦するもことごとく落選。以後中央画壇との関係を断った一村は、新天地を求めて奄美大島へと渡ります。一村50歳の時でした。そして昭和52(1977)年に69歳で亡くなるまでの19年間、奄美の亜熱帯の多様な自然に魅了された一村はその風景を独自の画風で描き続けました。
本展では若き南画家としての栃木~東京時代、新しい画風を模索し「一村」と名を変えた千葉時代、そして画家として満足感あふれる日々を送った奄美時代と、大きく3つの章に分けて一村の画業をご紹介します。

 
 
以下は、過去の関連記事です。 

644 「愛と誠」

重松鷹泰氏が1972年3月名古屋大学教育学部を定年退官するに際して2つの記念出版が計画されました。

一つは門下生を中心とした論文集、上田薫・三枝孝弘編『教育実践の論理ー子どもの追究ー』です。

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もう一つは、重松氏自身の論文集です。

重松氏の門下生が多くの重松論文から数百を選び、それを『教育方法論』全3巻に構成する原案を作成し、それに重松氏が手を入れて完成させました。

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社会科教育のみならず、授業研究等についても重松氏が残した業績は大きすぎます。

そんな重松氏の足跡を追い、重松氏について長年かけて研究したいと思っています。

 

上田薫氏は、重松氏のことを以下のように表現しています。

もっとも敬服にたえないことは、完璧といってよいその誠実さであると思う。また子どもたちと教師へそそがれる強い愛情だと思う。

「愛と誠」、氏を追わずにはいられません。

 

 

643 「待つ」ということ

20年程前、ペルーを一人旅していたときのこと。

2時間に1本しかない列車を待っていました。

到着時刻からさらに1時間以上遅れていました。

待てど暮らせど来ない列車。

同じく待っていた年配の女性に訊いてみると、笑顔で「大丈夫、大丈夫」と。

それから数分後、列車は到着、無事に乗れました。

 

「大丈夫」と言いながら待っていた年配の女性の笑顔を思い出すと、「待つ」ことで得られる「豊かさ」があるのかな、なんてことを考えます。

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642 『学校の門を開いて』筑波時代初期の有田実践

有田和正氏にふれて書きました。

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その中の小冊子に出てくる『学校の門を開いて』という書籍がこれです。

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40歳で筑波大学附属小学校へ転勤になった有田氏の最初の3年間の瑞々しい実践が収められています。
試行錯誤しながら実践を繰り返す氏の熱量が伝わってきます。
 

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641 読書術

 本を読むということは、活字を通していくらかの想像力を働かせ、私たちの身のまわりの世界から、多かれ少なかれ違う別のもう一つの世界へはいって行くことです。

 旅へ出かけること、本を開いて最初のページを読むことは、身のまわりの世界からの出発です。

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読書関係の書籍は多くありますが、僕はこの本が一番好きです。

「本を読まない読書術」がなるほどです。

 

 

それと、『〈問い〉の読書術』も好きです。

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本も深く読むということは、どういうことか。読むことを通じて、あるいは読むことにおいて、世界への〈問い〉が開かれ、思考が触発される、ということである。本は、情報を得るためだけに読むわけではない。 そういう目的で分の本もあるかもしれないが、 少なくとも、読書の中心的な悦びはそこにはない。

 

 よい本は、解答ではなく、〈問い〉を与えてくれる。〈問い〉は、不意の来訪者のようなもので、最初はこちらをびっくりさせる。だが、その来訪者と対話することは、つまり、〈問い〉が促すままに思考することは、やがて、この上ない愉悦につながる。自分の世界が拡がるのを実感するからである。

 

640 地図帳

「地図帳の使い方がわからない!」

「地図帳なんて1年間開いたことがない!」

「6年生の歴史学習で地図帳なんか使えるの?」

「なんで3年生から地図帳が配られるるようになったの?」

といった声をおもちの方々に、これらの書籍は非常に参考になると思います。

 

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社会科授業に空間的(地理的)な視点を入れることを意識すると、断然授業が豊かになります。

639 社会科にできること

 
①教室で社会の一部を切り取った社会的事象について学ぶ
②学んで獲得した知識や方法で社会を見る
③社会全体の見え方が変わる
④見えたことを活かして行動する

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3年生の「安全なくらしを守る」の学習を例に挙げます。

学習を通して、「信号機には安全を守るための工夫がある」という知識を獲得することができます。

その知識を活用して、日常生活の中の他の事象が見えるようになります。

例えば、音が出る信号機、ガードレール、カーブミラー、道路標識、道路の線など、その数は無数にあります。

「きっとガードレールや道路標識も、信号機と同じように安全を守るための工夫があるんだろうな」

と、獲得した知識を適用しながら見られるようになります。

 

また、これら「モノ」だけでなく、人がしている「こと」にも目が向くようになります。

例えば、パトロールや交通整備等の警察官のはたらきが考えられます。

このように、学習で得た知識を教室内だけではなく、日常生活で実用するのです。

 

得た知識を日常生活で実用することで、知識の有用性を感じると共に、日常の世界がよりよく見えるようになります。

日常生活の中にある様々なものが豊かに見られるようになります。

社会のことがよくわかるということになります。

子どもたちは身につけた知識を活用し、社会全体を見ることで、日常生活の中で新たに出合った社会的事象の意味や特色が見えるようになります。

子どもたちが「〜と同じように」「〜と同じで」という言葉を発した時がその瞬間です。

獲得した「知識」や「技能」を日常生活で実用してはじめて本当の理解ができたとも言えます。

 

 また、理解が深まり日常の世界がよりよく見えるようになることで、社会に参画しようとする態度が生まれてきます。

地域のボランティア活動への参加、防災訓練への参加、街づくりワークショップへの参加等が考えられます。

社会に関心を持ち、自分たちの役割を考え、できることを見つけようとすることで、よりよい社会をつくっていこうとする態度の育成につながります。

 

 まずは教室内で、社会科にできることを誠実にやっていきたいものです。