昨日の「はじめての◯◯」出版記念セミナーを終えて、「引き出す」ことについても色々と考えました。
発問や、しかけなど、いろんな手立てもありますが、この時期はわれわれ教師がどうあるべきかという観の部分を大事にしたいものです。
嶋野道弘(1996)は、「発問の真義は一見遠回りに見える方法をとりながら、子供に思考の場や正しく判断する機会を与え、自発的態度を育てようとするところにある」と述べています。
この言葉は、「即答」を求める場づくりではなく、子どもが考える余白を保障し、その子自身の判断や思いが芽生える時間を尊重するという授業観に通じています。
ここで嶋野が大切にしているのは、教師があらかじめ答えを想定し、それを引き出すために巧妙な問いを仕掛けるといった「誘導的な発問」ではありません。
むしろ、発問によって子どもが「自分はどう思うか」「なぜそう感じたのか」をゆっくりと見つけていけるように支える、そうした場づくりこそが真の発問の役割であるという認識がにじみ出ています。
また、嶋野は生活科における「支援的発問」の視点として、次の3点を挙げています。
1子どもの側にあることを引き出して伸ばす
2具体的な活動や体験を広げ、深める
3その子なりのかかわり方を励ましたり助長したりする
これらの視点からもわかるように、発問とは単に知識の定着や理解を測る道具ではなく、子どもの内側から立ち上がってくる思いや経験、関心にそっと光を当て、それを広げていくための「支援のことば」であることが強調されています。
つまり、ここにあるのは「学習者である子どもが主体となることを前提とした発問観」であり、教師が何かを「引き出す」というよりも、子ども自身が「発し始める」ことに寄り添う姿勢です。
「脱即時性」とは、思考の時間的猶予ではなく、子ども自身が問いに向かい、自分なりのかかわりを見出す過程を大切にしようとする実践的態度です。
まさに嶋野のいう「支援的発問」がもつ本質的価値と重なり合っています。
〈参考文献〉
嶋野道弘(1996)『生活科の子供論―1人1人が輝いてみえますかー』明治図書,p118