社会のタネ

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2390 『思考・判断・表現』が評価しにくいのはなぜか―「問いは投げかけている、でも評価できていない」現場の声

(1)「思考・判断・表現」って、見取りにくい
  社会科に限らず、今の評価は「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の三観点で行われています。その中でも、現場で困難とされているのが、「思考・判断・表現」の評価です。
  なぜなら、それは“子どもが頭の中でどう考えたか”という、見えにくいものだからです。確かに、授業中の子どもの様子を見ていれば、「ああ、この子は今、しっかり理由を考えて答えているな」とか、「この子は他の意見を聞いて、視点を変えてきたな」と感じる瞬間はあります。
 でも、それを評価として記録に残そうとすると──
「どう書けばいいのか」
「何をもって“できた”と言えるのか」
「他の先生にも伝わるのか」
……と、迷いが生じます。
それがテストとなればなおさらです。
“見えないものを、見える形に変える”という難しさに、現場は直面しています。

(2)評価とテストのギャップ
 とりわけカラーテスト[1]に代表される紙上テストでは、「思考力を問う」とされながらも、その多くが事実の再生や用語の記述にとどまっています。
 子どもたちが授業で発揮していた「考える力」は、テストになると忽然と姿を消してしまうのです。
「テストをつくろうとしても、問いが知識問題に寄ってしまう」
「思考問題を入れたけど、採点の基準があいまいになって困った」
「自由記述にしたら、作文みたいになって“思考”がどこにあるかわからなかった」
──こうした経験をしたことがある方は、少なくないはずです。
つまり、「思考を問う評価」は、やろうと思っている。でもやり方がわからない。やってみたけど上手くいかなかった。そんな状態で立ち止まっているのが、今の“現場のリアル”なのです。

(3)「評価できない」のではなく、「評価しにくい問いになっている」
 ここで大事なのは、先生が“思考を問う力”を育てていないわけではないということです。むしろ、日々の授業の中で子どもたちに問いを投げ、資料を読ませ、対話させながら、しっかりと“考える力”に向き合っている方はたくさんいます。
ただ、それが評価の場面になると「見えなくなる」。その大きな理由は、問いの構造や形式が、思考の痕跡を拾えない設計になっているからです。
たとえば──
・「この言葉の意味を説明しましょう」 → 意味を“知っているか”の確認
・「次の文の正しいものを選びましょう」 → 知識の再生
・「あなたの意見を書きましょう」 → 自由作文化しやすい
こうした問いでは、子どもが何を根拠に考え、どう判断したのかが見えてきません。結果として、「思考・判断・表現の観点で評価できない」ということになってしまうのです。

(4)「本音」で見えてくる課題
この問題の根っこには、評価=テスト=点数という根強い意識もあります。
・「思考問題って、採点しにくいですよね」
・「正解がないと保護者に説明しづらいし……」
・「記述を入れると、採点に時間がかかってしまう」
・「点数をつけられる形に落とし込むと、“思考”が消えてしまう」
こうした本音は、誰もが抱えているものです。だからこそ、一度立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
「そもそも、思考ってどうやって見取るの?」
「どういう問いなら、“考えた痕跡”が見えるの?」
「自分の授業で出している問いって、評価にも使えるんじゃない?」
そんな視点が、これからの評価づくりの出発点になりそうです。


[1] ここでは、業者作成の印刷済みのテストを「カラーテスト」と呼ぶ。