1950年代からの教育の動向は、戦後新教育への批判から展開していった教師中心の注入主義な教育、画一的な教育でした。
大量生産の仕組みの中で労働者に要求されるのは一定の基礎学力です。
大衆教育が成立し、多人数教育という形を取らざるをえませんでした。
多人数教育は一斉指導という形態をとります。
そのなかで「個が埋没している」ということが学校教育の重要課題として指摘されてきました。
これまでの画一化された日本の教育から、多様化、つまり多様な価値選択ができる能力を育てていく必要があると指摘され、1960年代に入ってからは「個別化教育」という用語が頻繁に用いられるようになりました。
「個別化教育」がめざしているところの「一人ひとりの子ども」という視点を大切にし、徹底的に「個」を見つめ、問題としました。
一人ひとりの子どものもつ「個人差」を正面にすえて、指導・学習のあり方を全面的に見直していこうとされていました。
当時、「個人差をどう見るか?」という議論が多くなされていたようです。
「個人差」には大きく2つあります。
「量的な個人差」と「質的な個人差」です。
大きく「量的な個人差」は、学習速度、学習到達度を含み、客観的・定量的に計測可能なものです。
「質的な個人差」は、認知スタイル、学習タイプが入ります。
主観的な区別になりやすく、場面によって左右されやすいものです。
定量的な測定も難しくなります。
「量的な個人差」については、個人差をふまえた指導が中心となり、「質的な個人差」については、個人差を生かす指導が中心となりそうです。
2020年代を通じて実現すべき「令和の日本型学校教育」の姿として、「個別最適な学び」が文科省より挙げられました。
指導論、学習論としては新しいものを提示しているわけではなく、大変革が行われているわけではないようです。
過去にどのような議論がされてきたのかを知り、それらを踏まえてこれから何を議論していかなければいけないのかを捉えることも大切だと感じています。