個別最適な学びを実現し、「個」の学びを豊かにするために、今まであった「当たり前」を疑うことが必要ではないかと考えています。
例えば、「板書」や「発問」や「授業案」など、今まで教師側がもっていたものを教師の専有物にしないということです。
教師がもつこと、やることが当たり前だったものが多くあります。
それらを子どもと共有したり、子どもに渡したりする発想も必要ではないでしょうか。
「本当にこれは必要なのか」「この意味は何なのか」など、今までやってきたことを再確認する必要があります。
また、それらはだれのためにあるものなのか、再度問い直す必要がありそうです。
子どもの学びのあり方の前に、教師自身のあり方や考え方を変え直し、アップデートさせる必要性を感じています。