授業研究・子ども理解
本書には4本の授業記録と考察が記載されています。 その中の一つに、僕が経験した状況とまったく同じ状況の授業記録があります。 「わかる」と共感すると共に、それを著者がどう考察したのか、自分との差異を見ます。 自分にはない捉え方、子どもの見方がそ…
これも大切な教師の役割。
重松鷹泰・上田薫・八田昭平編(1963)『授業分析の理論と実際』黎明書房 当時大きく取りあげられていた「授業分析」について、理論的に事例的にまとめられた591ページに及ぶ大著。 本書ができるまでに研究者、実践者が共に協力し、約10年の歳月を要してい…
明日はこちら。 いつもの時間ではなく、午前中なのでご注意ください! 若松さんもご参加くださいますので、みなさんもお気軽にぜひ() 参加される方は石元さんまでご連絡ください。(7321sktm@gmail.com 石元周作) 日時 7月2日(日) 11:00〜12:00 場所自…
重松が授業研究に取り組んだのは1952年。(『追悼集p591より』 1954年、重松鷹泰氏が教育研究の一方法として「授業分析の方法」を提唱することになりました。当時、教育方法研究室の助手であった竹中輝夫(1964)は、次のように述べています。 「昭和二九年…
「授業研究」の目的は、授業の中で新たな子どもの思考や活動を発見することです。一言で言えば、「子ども理解」です。子どもを新たな視点で捉え直す行為こそが、授業研究の本質であると考えられます。 一般的に「授業分析」と言われると、授業の中での教師…
数多くの実践者達がカルテの実践を行ってきました。それが記されている箇所をいくつか紹介します。 ◼️杉田勝彦・南晴美(1975)『カルテの生きる授業(算数を中心に)』黎明書房 帯部分 カルテは、学籍簿でも通知表でも身上調査書でもない。それは、学校生活…
先日は復刊された緒川小の著書の「読み込む会」だった。組織として取り組むことの大切さとその難しさも共有できた。何かを始める際の「第一歩」ってとても大切。本書に記されいる学校は緒川小のようにように有名な学校でもなく、特別な施設がある学校でもな…
名著『はじめに子どもありき』を著した平野朝久氏は、『追悼集 重松鷹泰先生』の中で、授業記録から分析する方法のことを 「本当に大事なことは時間やてまひまのかかることなのだと思います。」 と述べています。 やっぱり僕たち教師は「てまひまのかかるこ…
「授業における教師の主体性というのは、教師の意図を直接さらけ出すことではない。子どもたちの言葉を新鮮に受け止め、そこに自分を見出すことである。 子どもの言葉は曖昧である。 ぼんやりとしている。 その中に、自分の教えたいこと、大切にしたいことを…
本日発刊です! 子どもの見方が変わる!「見取り」の技術 作者:若松 俊介,宗實 直樹 学陽書房 Amazon よろしくお願いいたします。 無料オンライン出版記念セミナーも企画していただきました。 https://mitoru.peatix.com/?fbclid=IwAR0KHhNemiz2fxMGj_SvuBWV…
本年度からまた子どもの見取りが変わってくるだろうな。 (というか、元に戻る感じかな) ようやく教室でマスクを外すことができるから。 教師や子どもにとってのコミュニケーションにおいて、このマスクの影響は大きいよなぁ。 僕たち教師は非言語的な部分…
生活科の授業をしている時、子どもが活動に没頭している時があります。 例えばおもちゃ作りをしているシーン。 Aさんは、飛び跳ねるおもちゃを作りたいのです。 でも、なかなかうまくつくることができません。 紙コップに輪ゴムを何度もつけ直してうまく跳ぶ…
藤岡完治による8ヶ月間ある学級を追跡した研究記録。 斎藤雄三をはじめ、3名によるリレー授業授業。 北俊夫の現役時代の実践記録。 見所が満載でおもろすぎる。 1時間ではなく、単元、年間を通して実践研究しているのがすばらしい。
『子どもを生かす学習指導法』 錚々たる執筆陣。 編者として重松鷹泰も。 1953年の著だけど、やっぱり変わらんもんは変わらん。 「子ども」は不変。 「真の教師は、子どもとともに、青年とともに、一般に生いたついのちとともに、つねにとこしえに若い。 教…
授業研究や授業分析に関する本によく目を通します。 2年前、一人一台端末が導入されて様々な形式の授業が行われていましたが(自分も含め)、やっぱり授業の本質や教科の本質についてしっかり捉えたいなと思います。 そういう意味で、どんな形式の授業でも…
先日の拙著の読書会から改めて考え直したことのひとつ。 その授業の中でのその子の学びを見取ると共に、その単元の中での他の一場面と結びつけて見取ること、他教科での一場面と結びつけて見取ること、長いスパンで見取ることの必要性。 一授業の一場面とい…
重松鷹泰氏晩年の2冊。 読んでいると胸が熱くなる。 「子ども共に在る」ということはどういうことなのか、知らしめられます。 「個」に焦点をあてた実践を書き記したいと思わせてくれる書です。 2冊セットで読むべきです。
長岡文雄氏(1976)は、 「1960年ごろから授業分析は活発になり、それがこの15年間で教育研究に果たした役割は大きい」 ということを述べています。 その中で、「授業記録に魅力が欠けている」とも指摘しています。 原因を「記録における教師のつぶやきの不在…
「授業」とその中にあらわれる「子ども」の様子を真摯に描いた書。一つの授業を丁寧に分析することで、新たな子どもを発見していく過程が記されています。見える事実から子どもの思考や感情を読み取ろうとする眼をもつことの大切さがよくわかります。
「授業実践」「授業研究」「授業分析」について、時間をかけてまとめている最中です。先行研究や先行実践を確認しながら、子どもの事実から客観的に文章化を試みています。 そもそも「授業実践」したり、「授業研究」したりするにあたって確認するべきことは…
霜田一敏教授退官記念の書、非売品です。 冒頭より有田和正氏の論文です。 お二人の出会いから、有田氏のはじめての著書出版『市や町のしごとーごみの学習』が生まれるまでのいきさつなど、非常に興味深く読むことができます。 それらエピソードにはさんで、…
「いくらよい授業をしても、授業だけで終わってしまったのでは、子供はやがて授業からも教師からも離れてしまう。」嶋野道弘(1996)p132 そう、授業は学習のきっかけにすぎない。だから、1時間の授業だけを参観して「善し悪し」を検討するのはもうナンセン…
「子供がここにいても、子供がここにいないことがある。子供がここにいないのに、子供がここにいることがある。」 嶋野道弘(1996)『生活科の子供論―1人1人が輝いてみえますかー』明治図書p13これ、ほんとそうだよなぁ。本当に「子どもがいる」とはどうい…
上田薫(1974)は、授業研究を行う際に、授業観の改革と「立往生」の研究の必要性を説いている。「『立往生』を評価できないような授業観でいくら授業研究をしてみたってむだだということである」とさえ述べる。 「立往生」とは、辞書的には「身動きが取れず…
再読した書。生の実践記録の数々。加藤賀一はけっして著名な方ではないでしょうが、僕は本当に好きです。氏の人柄と誠の心が書の言葉の数々から十分に伝わります。何が大切かを教えてくれる。派手さなんて一切いりません。ただ地道に誠実に。そこに教育の本…
「真の子ども発見は、教師の自己否定・自己変革をともなうものなのだろう。」竹沢(1992) 自分を変えずして、子どもを「発見」しようなんて、なんとおこがましいことか。 変わるのは、自分。 変えるのも、自分。
質的にも量的にもどちらからも見ていけるようになりたい。 感覚だけでなく、データ分析も効果的にできるようにしていきたい。
東井は、作文教育を農業に例えて、まずは土を作ることが大切だと述べる。土を丁寧に耕せば、作物自ら育つということである。「作文を育てる土」、すなわち「作文以前のもの」を用意し、それを育てる上で最も影響が大きいものが「教師の心構え」だと述べる。 …
最近撮っている授業ビデオを部分的に見るのが多かったが、1時間まるごと見るのはひさしぶりです。 やっぱりおもろい。 最近は全体を見るだけでなく、ある子に焦点をあててみるようにしている。 その子が何をしていたのか、どう反応したのか、どう発言したの…